いつも、ありがとうございます。

   雨のち、曇り。       ハッキリしない天気。
今日は、富山市まで桐たんすをお届けに行ってきた。
で、出発は、朝6時に工場だ。
昨晩は、久しぶりに眠れなかった。
起床は5時20分。
それまでに、夜中に何度も起きた。
配達の緊張からか・・・・。
今回、桐たんすをお届けさせていただいたM様とは、
3年前の富山市での展示会に来ていただいたことが、
最初のご縁だった。
その最初の展示会で、とっても高価な和たんすをお求めいただいた。
その完成を待って、お届けしたら、その時に、
「一年後に、この和たんすと一緒の整理たんすを作って」と、
言われた。
その一年後、必ずこの時期、M様は桜の花の咲く時期ね!
って言ってくれる。
で、一年後の桜の花の咲く時期に、整理たんすをお持ちした。
そうしたら、また、一年後に、「こに置ける座布団たんすを作って!」
って言われた。
それが今回、お届けしてきたたんすだった。
で、今回、また、
「では、来年の桜の時期に、掛け軸を入れるたんすを」って
言われた。
今回で4本目。
そう、4回目だ。
今日、お茶をいただきながら、最初のご縁をいただいた
時のお話をして頂いた。
忘れもしない、最初のご縁。
ご夫婦で展示会にお出かけいただき、ご主人と
話したことを。
何でも、ご主人は木が好きだと言う。
それと同じくらいに、奥様もご主人と趣味が合うのだと思う。
ホント、ご縁って不思議だし、大切にしたい。
実は、その次も、決まっていたりします。
M様。
本当に、ありがとうございます。

行く先々で・・・。

    晴れ。   もう暖かい。桜はまだですね・・・。
この週末は、仙台市での展示会でした。
何でも、震度3の地震があったみたいですが、
その頃はもう、夢の中・・・。
展示会に来ていただいたお客様は少なかったものの、
おかげさまで、桐たんすをお求めいただいたM様。
桐チェストをお求めいただいたS様。k様。I様。
本当にありがとうございました。
で・・・。
明日は、富山県へ、桐たんすのお届けに。
朝、5時半出発です。
地震、大丈夫かな〜〜〜。
ホント、先週の能登沖の地震といい、今週末の
仙台での地震と言い、行く先々で、地震が起きる。
今週末は、京都で展示会。
地震は大丈夫かな?

一生、現場主義。

  
    晴れのち、曇り。      でも、気温は暖かくなってきたなぁ。
桐たんすの業界に入って、もう、21年になる。
えっ、、、21年だとは・・・。
高校を卒業して、そのまま、祖父の遺言であった、和歌山県の
桐たんす工場に修行に行かせてもらった。
それが18歳のときだ。
そこで2年間お世話になり、その後、桐の蔵の前身である、
桑原たんす店に入り、そこからが修行であり、前途多難の
連続でもあった。
でも、私は、修行時代も含め、ずーーーーと現場が好きだったし
今でも、現場である。
事務所に詰めっぱなしの事務方ではないし、外回りの営業でもない。
ましてや、社長業専門でもない。
その全てをこなしながら、基本は現場である。
今日、現場で久々に、ある仕事をしながらこのことを再確認した。
私にとっても久しぶりにやった、この仕事。
久しぶりでも体は覚えている。
これも、現場で築き上げた証子。
桐の蔵は、ホントに、小さな工場なので
親方も、私も、弟も、自分の事だけやっていたのでは、
工場が成り立ちません。
経営する立場である、私たちが率先していくことで
職人である、みんなが付いて来てくれるし、
士気も上がるのだ。
これって、みんなが一緒に現場で仕事をしているからだと
私は思う。
親方は、もう70歳。
今まで、ずーーーーーと現場だったし、
これからも、現場だと思う。
これが、職人だと思うし、親方の生き方なのだと思う。
当然、私も、一生、現場を貫きたいと思う。
現場は楽しい。
全ては現場にある。
現場は、職人にとっての全てです。

必死に、押さえていました・・・。

   雨。     すぐに晴れる予定だったのに・・・。
今日まで、新潟県上越市での展示会。
昨日は、ホント、多くのお客様にお出かけいただき、
お求めいただいた。
でも・・・。
今日、午前9時42分頃、皆さんも報道等で
お知りになったと思います。
私たちは、展示会の準備と、はるばる長野市から
お出かけいただいたお得意様とのお話の最中でした。
突然、グラグラ〜〜〜、と揺れ始め、その後、
地面から突き上げるような揺れが、しばらく続いた。
私、2年前に新潟県で起きた「中越地震」を体験していない。
だから、今回の震度4は、もしかして生まれて初めて
体験した大きな地震だったかもしれない。
揺れが大きくなったとき、私のとった行動は、
すぐさま、桐たんすを押さえていました。
ホント、それ位、すごい揺れだった。(会場の上越市は)
震源地に近い富山県や石川県のお客様は大丈夫だろうか?
今回被害に遭われました、多くの方々に心より、お見舞い
申し上げます。
一日も早く、復旧、快復しますよう、お祈りしています。
頑張って下さい。

上越市での展示会。

 
晴れのち、雨。  暖かかったけど雨です。
今日から、新潟県の下のほうの上越市で展示会が始った。
今月は、展示会が多く、これを含めて3会場連続での展示会
だが、これも、また楽しみ。
張り切っていきましょう!!
今日は、朝早くから、展示会に来ていただきました
O様。何度も、足を運んでいただきまして
ありがとうございました。
また、桐たんすと、桐チェストをお求めいただきまして
この場をお借りしまして御礼申し上げます。
今回の展示会は、思っていたよりもお客様の来場が
少ないなーーーーと、感じてしまいました。
出だしは良かったのですが、時間を追うごとに、
えっ、、、、今回は・・・・。
でも、お客様が少なければ少ないなりに、疲れるものです。
明日は日曜日。
いつも、この会場の展示会は、最終日に多くの
お客様が来て頂けます。
明日も、お待ちしています。

思い通りになんて、なかなかいかない・・・。

   晴れ。    雪が続いたが久しぶりに晴れ間。
人間の人生って、ホントにいろいろなことが起こる。
だから、喜びもあるし、悲しみもあるのだと思う。
毎日毎日が、何ともない平凡な毎日であったら、どんなにか
つまらない人生なんだろうと思う。
私も、今現在、昨年から引きずっているちょっと辛い問題が
2つある。
昨日は、この一つの問題の関係者から夜に電話があった。
その後、ドン!!!!っと、暗くなった。
あまりのギャップに嫁さんが心配してくれたくらいだから・・・。
その問題は、ここでは言う事はできないが、
ホント、嫌なことだ。
でも、人生って思い通りになんて行かない。
それは、みんなそうだ。
3歳の「たっくん」でさえ、そうなのだから、
39歳の私が、思い通りにばかり行くはずはないのだ。
だから、人生って面白いのだとも思う。
思い通りに行くときがあれば、
全く行かないときもある。
今、ちょっと落ち込んでいるので、こんな内容になってしまったが
明日からは、復活したい。(きっと、復活している)
前向きに行きたいけど、時には弱音も吐きたい。
だって、人間だもの・・・。

スーパーな70歳。

   晴れのち、雨。     もう、暖かすぎ・・・。
突然、お借りしていた板を干す場所のオーナーさんから、
今月いっぱいで空けて欲しいと言われた。
何でも、その場所にその会社の倉庫を建てるらしい。
工場の隣りでもあり、長い間、使わせていただいた
桐の蔵にとって、都合のいい場所であり、とっても重宝した
場所であっただけに、残念だ。
そういわれると、短気な親方はすぐに動く。
今月いっぱいまでに、空けてくれれば良いっていったのに・・・
で、昨日の日曜日、決行!!
アルバイトさんを1人頼み、親方と私で朝から行う。
(私は休み無し、ホント、休みたかったけど・・・)
でも、この親方の仕事振りには、ホント、頭が下がる。
もう、70歳である。
私と、アルバイトのおじさんに混じって、一緒に重い板をまとめ、
トラックに積む。
私がトラックを運転するのだが、2台で行くときは、
70歳の親方が、トラックを運転する。
おいおい、大丈夫か?と内心思うが、親方、
難なく、やり遂げてしまう。
でも、そこかしこに疲れてるな?と思うところが
見え隠れするので、そこは無理させないのだが・・・
親方の元気の秘訣は、まずは食欲だと思う。
朝はもとより、お昼なんて、私や弟(作業日記)なんかよりも、
もしかすると、食べる。
そして、晩酌も相変わらずだ。
これが、まずは、元気な秘訣だろう。
でも、さすがに今日は疲れが見えたので、
午後は、帰った方がいいよ!と言ったら、そうだな。と、
帰っていった。
そりゃ、そうだ。
70歳が、日曜日も休まず、体力勝負の仕事を
1日続けるのだから・・・。
私がその立場だったら、まずは、出来ないと思う。
桐の蔵・二代目親方は、本当にすごいぜ!!
私の出る幕なんて当分ないかもしれない・・・。

倉庫のお陰で・・・。

   晴れ。     毎日、晴れだ!
昨年末に完成した、桐板をしまうための倉庫。
通称「板小屋」が大活躍している。
数年の間、桐の渋を抜き、乾燥した板を入れる前に、
桐米びつを焼く作業場に取って代わり、
また、その米びつを在庫する倉庫にも、取って代わっている。
肝心な桐板は、まだまだ、入れる時期ではないので
親方は黙っているが、これが、桐板を入れる時期と重なっていたら
どんなに辛いことか・・・。
この倉庫(板小屋)がなかったら、この米びつの行方は
どうなっていたか考えられない。
人生は、うまくいっているなーーーー。
ホント、今までついている。
で、明日の日曜日は、板を倉庫にしまうため仕事です。
あーーーーー、休みがありません。
来週も、日本橋で展示会だし。
でも、私、休んでられない性格ですから・・・。

工場は遊び場。

   晴れ。  暖かい。
一昨日から、嫁さんにも工場で手伝ってもらっている事を
ここでも書かせてもらったが、嫁さんが来るって事は、
4月から保育園に入園する次男の「たっくん」も一緒に
当然ながら来る。
いつも「来たよーーーー!!」って元気にやってくる。
それでも、今日は、すこぶる機嫌が良かったらしい。
晴れているから、広い工場内で走りまくり、職人さんに愛想を振り撒き、
突然、来られたお客様にも、抜群の笑顔で挨拶していた。
さすがである。
でも、工場内は、危険がいっぱい。
のこぎりの機械が回り、鋭利な刃物がいっぱいだ。
だから、そこは、ホント神経を使う。
正直、微笑んではいられないのだ。
おじいちゃんである、親方は、たっくんが来ると、すぐに
機械の電源を切り、機械を止める。
それ位、敏感にならないと、取り返しがつかないことになるから。
でも、本人は、そんなことはおかまえ無しに走る回る。
一番の微笑みは、台車に乗って、一人でウルトラマンごっこを
していた。
彼、結構、一人遊びが得意です。
私も、小さな頃は、工場が遊び場だった。
今思うと、それも、危険だったんだと思う。
でも、たんす屋に生まれた宿命。
この子も、こんな想い出を背負って、成長していくのだろう・・・。

桑原家のルーツ。

   晴れ。     でも寒い・・・
三連休なので、いつもは寝ている時間なのに、
芋焼酎を飲みながら「情熱大陸」を見ていた。
今日の特集はパティシエ。
フランスのクープドモンド(お菓子界のオリンピック)での
挑戦だった。
結果は金メダル。
素晴らしいエンディングだった。
実は、私、この手のグルメ番組は以外と好きだ。
工場が休みの時は、以外と、この手の番組を見ることは多い。
なぜなのか?
実は、桑原家のルーツは料理人だった。
それは、桐たんす工房を創業した私の祖父である
桑原松太郎さんの父親が、素晴らしき料理人だったのだ。
ここだから言うが、明治天皇がここ加茂市に来たときに
その昼食を作ったと言われている。
その名は「桑原留治」
「四条流料理職」と墨で書かれた看板が今でも残る
桑原家のお宝だ。
私は、桑原家のルーツである「四条流」という料理の
流儀を以前から結構調べている。
でも、以外と出てこない。
この留治さんが、関わっていたとされる「かまぼこ屋さん」が
新潟市内にあった。
その名は「竹中」
私の記憶では、私が小学校のときにお正月になると
贈られてきた記憶がある。
その美味しさは、今でも覚えている。
小学生の私が、今でも覚えている味。
それ位の味は、想像を絶している。
でも、残念ながら今、竹中は存在しない。
私が知る桑原家のルーツは、四条流料理職である「桑原留治」
さんである。
ただし、料理人だけあって、かなりの酒豪だったらしい。
それを見ていた、息子の(私の祖父)松太郎さんは、
料理人だけは、嫌だったという。
でも、その恩恵は結構受けていたようだ。
聞いた話によれば(ホントかどうかは別)、新潟市内の
老舗料亭、行形亭の職人を務めていた時代は、
よく手作りの「ごま豆腐」を食べさせてくれたと、亡くなった
祖父(松太郎)から聞かされた。
そんな料理人の姿を見て、桐たんす職人から、独立し
桑原たんす店の創業に至ったのだが、
その孫や、ひ孫にも、料理人の血はどこかに
引き継がれているのだろうか?
料理の腕よりも、飲んべいの血は確実に受け継がれて
いるような気はする。
「四条流」に関する事で、お知りの方がありましたら、
是非とも、連絡をいただければ幸いです。