2005年 11月 の投稿一覧

新聞記事の影響

少し前、新潟日報(新潟の新聞社)が新潟市内を中心に配布しているニュースペーパー
(アッシュ)の取材を受けた。
そのニュースペーパーが先々週(だったかな)に配布された。
私の住む加茂市は配布対象外だったので、すぐに見ることは出来なかったが
弟の住む地域に入っていて、持ってきてくれた。
テーマは「伝える」
まさしく、桐の蔵のミッションである。
取材中は、桐たんす工場の長男として生まれたことから始まって、後を継ぐと決めたことや、
2年間の修行中でのこと、そして現在のことなど、けっこう聞かれた。
どんな記事になっているんだろう、と思っていたら、うん、さすが、副編集長。
桐の蔵の他にも、お豆腐やさんや、漆職人など、現代の生活から忘れ去られようとしている
業界の若手の方々が、独特の視点でがんばっている姿が、記事になりとてもおもしろかった。
伝統を次代へと「伝える」
これは、私にとっても使命であり、職人と呼ばれる方々の使命であると思う。
洋風化(もうそんな事は当たり前で、そんな言い方はしませんね)が完全に
受け入れられている生活。
その中で、職人として培ってきた「伝統」を、作品の中で表現していかなければ
これからの時代は難しいと感じています。
いつの時代も、流れているのは確かです。
時代の流れに、ある程度沿っていくのも、その時代に生きる職人の
運命かも知れません。
ただし、目先の流行だけ追ったところで、「伝統」という重みと、
職人としての基本がなければ、振り回されるだけで終わってしまう、そんな気もしています。
「伝える」という素晴らしいテーマを与えていただきました、副編集長にお礼を言わせて
いただきます。
改めてニュースペーパーを読み、そう感じています。

板を組む

桐たんすづくりにおいて、桐たんす本体を組み立てて作っていく作業が
とかく注目されますが、それと同様に木取りと板組みという作業があります。
この木取りと板組みというのは、注文を頂いたたんすのサイズに合うように、
桐の板を切っていくという工程が木取りというものです。
簡単に言いましたが、これがたんすの良し悪しを左右すると言っても過言ではありません。
どの板をどこに使うか、という見極め。
桐の蔵では親方の仕事です。
そして、切った板を使って組み立てる前のパーツを作っていく工程を板組みと呼びます。
これも簡単に言ってしまいましたが、この工程も重要です。
板には木表と木裏があり、これを間違うと板を反って使い物にならなくなるのです。
また、板の木目と柾目を組み合わせて、美しい表情を作りだしていくのも、この板組みと
呼ばれる重要な仕事です。
私は、今日、板組みをやっていましたが、いかに、美しい桐の表情を作り出すか。
それはセンスと創造性に頼るところが大きいと思います。
ムクの板には傷は節もあります。
それを、神経を集中させて取り除き、美しい木肌を再現するには、それなりの
経験が必要です。
ただ単に作業が出来ても、いかに美しく見せることが出来るか。
職人は10年経っても一人前にはまだまだ。と言われるのはこの辺にあるようです。
木取りも板組みもどちらかというと地味な作業です。
でも、この地味な作業なくしては桐たんすづくりはありえません。
こうした地味な作業が、桐の蔵のモノづくりを支えている事は、言うまでもありません

裏を出す。

刃物を研いでいくと、次第に裏がなくなってくる。
いつも良く使うカンナの裏出しは良く行うが、今日はノミ。
ノミの裏がなくなっていた。
昔から、カンナの台直しと、裏出しが出来なければ一人前とは言わない。と言われる。
刃物は、地金と鋼で出来ているので表と裏があるのです。
普通に研いでいくと、刃物が段々と減っていくと同時に、裏もなくなってくるのです。
そうなると、刃物は切れません。
そこで、裏出し開始です。
刃を表から金槌で叩いて、裏を出します。
この作業が肝心。ここで全てが決まります。
カンナだったらカンナ台に当て、裏が出ているか確認。まだだったら、こまめに見ながら、叩きます。
次は、金属の板に裏を押し当てて、こすり合わせて叩いて出てきた裏を出していきます。
(う〜ん、言葉にすると難しい・・・)
この作業、全身の力を入れて行うので、結構、力がいります。
夏は汗だく、冬は暖かくなる作業。
カンナの刃や、のみ、けひきの刃など、刃物をこうして、裏を出して、使い続けていくのです。
なんでも、表と裏でひとつ。
表も、大事だけれど、裏も大事なのです。