2006年 4月 の投稿一覧

70歳のふたり。

桐の蔵の親方の同級生からお預かりしていた、古い桐たんすの
修理・再生が完成した。
その旨を伝える電話をさせていただき、少ししてから、親方の
友人が桐の蔵を訪れてくれた。
そう、ふたりは同級生で、今年、70歳。
でも、そのふたりは全く違うタイプだった。
桐の蔵の親方は、気が短く頑固な、典型的な職人タイプ。
本当はそうではないのだが、一見、近づきにくい。
で、同級生はと言うと、穏やかで、物腰が柔らかい。
とても、いい感じだ。
その方の仕事は、大工。
同じ、木を使う仕事だ。
そんなふたりが、桐の蔵の小さく狭い事務所で話をする。
ホント、これが70歳って感じなのかと思う。
とっても、元気!
言わずと知れた、桐の蔵の親方は、バリバリの現役。
まだまだ、私を怒鳴り散らすし、職人さん達にも
一目置かれている。
桐の蔵の寺内貫太郎(知っているかな・・)みたいな存在。
で、その友人はというと、ホント、物腰が柔らかい。
両手で、指を7本出して、もう70歳ですから・・・と
あくまでも穏やか。
どっちが良いとかt言う問題ではないが、ここまで来ると、
その個性がとても面白い・・・。
でも、ふたりとも70歳にして、バリバリの現役。
これって、理想だと思う。
人間って、仕事を取ったら何が残るか。
って、言うよりも、打ち込めるものが生涯合った方がいいと
言ったほうが良いかもしれない。
桐の蔵の親方は、「現場で死んだ方が本物だ!」って、
そんな気がしてくる。
これって、手前味噌ながら凄いことだと思う。
それだけ、自分の仕事に情熱を持っている証かも・・・
でも、70歳のパワーには驚かされる。
私も、見習って、それ以上の年まで頑張っていきたいな。

初代が取り持つ縁。

昨年の春頃だっと思う。
このブログ(まだ、HPの日記だっかな?)で
書いた、初代の作った桐たんすの修理を依頼されたと。
そのお客様とは、その後も、桐で民芸風のたんすの依頼を
頂いたり、今年の1月の新潟市内で行われた展示会にお出かけ
いただき、ご自身用の桐たんすのご注文を頂いた。
その桐たんすが完成したので、今日、お届けに上がった。
そのお客様のご自宅に伺わせて頂くのは、もう4回目くらいかな。
それも、きっかけは、初代の「桑原松太郎」さんが作った
桐たんすを直して欲しいという、一本の電話からだった。
ホント、ご縁というのはありがたいものだ。
桐たんすに墨で書いてあった、「桑原松太郎」の文字を
頼って、色々なところに電話をして、桐の蔵を探してくれたのだ。
これって、ホント、ありがたいの一言に尽きる。
それが、ご縁で、何度もご自宅にお邪魔させていただき、
桐たんすご依頼をいただいたのです。
昨日書いた、年間計画ではないですが、こんなことは
計画できないのは当然で、予測も出来ない。
でも、なぜか、毎年、多くの方々のご縁を頂き、
計画通り、事が進んでいく。
ありがたいことに・・・・・。
昨年もそうだった。
で、今年も、昨年以上に、多くのご縁を頂いている。
ホント、不思議なようだが
言葉にして、計画すると、それが現実になってくるかな?
ホント、出会いは新鮮ですね。

100年後の仕事と、10年後の会社。

「桐たんすは代々、使っていけます」
これは、桐たんすに関わる全ての方が使う言葉だ。
確かに、その通りであるし、製作する職人さん達も、
そのつもりで、心を込めて手作りしている。
代々と言うと100年以上は使えなくてはならない。
だから、つくる方も、相当な神経を使う。
だって、代が変わっても、作品は残るから、その方達からも
評価されなくては一流品とはいえない。(と私は思う)
実は、今、10年後の桐の蔵の計画を作っている。
「10年後、桐の蔵はこうなっている」、と捉えて
さかのぼりつつ、計画を立てている。
その通りになるとは思っていないが、それに近づきたい
と努力することが、今の私には必要だと思うから・・・。
毎年、年間計画を立てて、それに近づくようには努力する。
それと一緒で、10年後の桐の蔵もこうなりたいと思うのは
自然のことだ。
10年後って、遠いようであっという間だ。(と思う・・・)
いつも言うが、私たちの仕事は、人の手によって作り出されるものだ。
だから、人が大事だ。
作り出す技術を持った職人さんが、この先、どれだけ残っているか。
10年後はどうなのか?を考えるとぞっとする。
だから、その辺も考えての10年計画だ。
10年後、私は48歳。
弟は43歳。
そして、将来はサッカー選手か、たんす屋。と、
言っていた息子は、21歳。
この辺が、ポイントだと思う。
たかが10年後。
されど、10年後だ。
でも会社は、存続しなければ意味がない。
だから、10年後を見据えて行こうと思う。
100年後も使える桐たんすと、
10年後も元気な桐の蔵であるために・・・。

整理整頓と、職人の質。

職人に限らず、仕事の出来る人の場所は、きちんと整理整頓が
されている場合が多い。
今日、職人の小池さんが、ほぞ組みの工程を終え、その
作業で出た、木くずを丁寧にほうきで掃き、自信の仕事場を
きれいにしてから、次の作業に入っていった。
その場所は、作業をする前よりも確実にきれいになっていた。
これこそが、できる職人である(と私は思う)
私たちの仕事は、手作りである。
自分の持ち場の、作業場が汚ければ、作り出す作品が
きれいに出来るはずがない。
その上、効率は悪いに違いない。
段取りは、もっと悪くなると思う。
そして、何よりも、気分が悪い・・・
桐たんす職人の仕事は、手作業が多いので、出る木屑などは、
知れている量だ。
でも、工程の節目、節目には、必ず木屑を掃いて、きれいにしてから
次の作業に入るのが、できる職人だと私は思う。
桐の灰汁を抜くために外に干してある、桐の板もそうだ。
やはり、見た目にもきれいに、そろえて干してある方が、気持ちがいいし、
効率よく、雨に当たり、灰汁が抜け、乾燥の度合いも平均にいくと思う。
プロの仕事って、見ていても美しいものだ。
これは、桐たんす職人だけでない。
ケーキ職人でも、パン職人でも、いい店はきれいだし
美味しい。
きれいって、大事なことだと、私は思う。
きれいな仕事をする職人って、気の使い方が違う。
いろいろなことに、気が付くし、気の付き方は作業の工程の
はるか先を行っている。
これが、本当のプロだ。
当たり前のように言われるが、整理整頓はプロの基本。
ベテランになれば、なるほど、当たり前をきちんとこなしている。