1.会社での出来事

思い通りになんて、なかなかいかない・・・。

   晴れ。    雪が続いたが久しぶりに晴れ間。
人間の人生って、ホントにいろいろなことが起こる。
だから、喜びもあるし、悲しみもあるのだと思う。
毎日毎日が、何ともない平凡な毎日であったら、どんなにか
つまらない人生なんだろうと思う。
私も、今現在、昨年から引きずっているちょっと辛い問題が
2つある。
昨日は、この一つの問題の関係者から夜に電話があった。
その後、ドン!!!!っと、暗くなった。
あまりのギャップに嫁さんが心配してくれたくらいだから・・・。
その問題は、ここでは言う事はできないが、
ホント、嫌なことだ。
でも、人生って思い通りになんて行かない。
それは、みんなそうだ。
3歳の「たっくん」でさえ、そうなのだから、
39歳の私が、思い通りにばかり行くはずはないのだ。
だから、人生って面白いのだとも思う。
思い通りに行くときがあれば、
全く行かないときもある。
今、ちょっと落ち込んでいるので、こんな内容になってしまったが
明日からは、復活したい。(きっと、復活している)
前向きに行きたいけど、時には弱音も吐きたい。
だって、人間だもの・・・。

スーパーな70歳。

   晴れのち、雨。     もう、暖かすぎ・・・。
突然、お借りしていた板を干す場所のオーナーさんから、
今月いっぱいで空けて欲しいと言われた。
何でも、その場所にその会社の倉庫を建てるらしい。
工場の隣りでもあり、長い間、使わせていただいた
桐の蔵にとって、都合のいい場所であり、とっても重宝した
場所であっただけに、残念だ。
そういわれると、短気な親方はすぐに動く。
今月いっぱいまでに、空けてくれれば良いっていったのに・・・
で、昨日の日曜日、決行!!
アルバイトさんを1人頼み、親方と私で朝から行う。
(私は休み無し、ホント、休みたかったけど・・・)
でも、この親方の仕事振りには、ホント、頭が下がる。
もう、70歳である。
私と、アルバイトのおじさんに混じって、一緒に重い板をまとめ、
トラックに積む。
私がトラックを運転するのだが、2台で行くときは、
70歳の親方が、トラックを運転する。
おいおい、大丈夫か?と内心思うが、親方、
難なく、やり遂げてしまう。
でも、そこかしこに疲れてるな?と思うところが
見え隠れするので、そこは無理させないのだが・・・
親方の元気の秘訣は、まずは食欲だと思う。
朝はもとより、お昼なんて、私や弟(作業日記)なんかよりも、
もしかすると、食べる。
そして、晩酌も相変わらずだ。
これが、まずは、元気な秘訣だろう。
でも、さすがに今日は疲れが見えたので、
午後は、帰った方がいいよ!と言ったら、そうだな。と、
帰っていった。
そりゃ、そうだ。
70歳が、日曜日も休まず、体力勝負の仕事を
1日続けるのだから・・・。
私がその立場だったら、まずは、出来ないと思う。
桐の蔵・二代目親方は、本当にすごいぜ!!
私の出る幕なんて当分ないかもしれない・・・。

倉庫のお陰で・・・。

   晴れ。     毎日、晴れだ!
昨年末に完成した、桐板をしまうための倉庫。
通称「板小屋」が大活躍している。
数年の間、桐の渋を抜き、乾燥した板を入れる前に、
桐米びつを焼く作業場に取って代わり、
また、その米びつを在庫する倉庫にも、取って代わっている。
肝心な桐板は、まだまだ、入れる時期ではないので
親方は黙っているが、これが、桐板を入れる時期と重なっていたら
どんなに辛いことか・・・。
この倉庫(板小屋)がなかったら、この米びつの行方は
どうなっていたか考えられない。
人生は、うまくいっているなーーーー。
ホント、今までついている。
で、明日の日曜日は、板を倉庫にしまうため仕事です。
あーーーーー、休みがありません。
来週も、日本橋で展示会だし。
でも、私、休んでられない性格ですから・・・。

工場は遊び場。

   晴れ。  暖かい。
一昨日から、嫁さんにも工場で手伝ってもらっている事を
ここでも書かせてもらったが、嫁さんが来るって事は、
4月から保育園に入園する次男の「たっくん」も一緒に
当然ながら来る。
いつも「来たよーーーー!!」って元気にやってくる。
それでも、今日は、すこぶる機嫌が良かったらしい。
晴れているから、広い工場内で走りまくり、職人さんに愛想を振り撒き、
突然、来られたお客様にも、抜群の笑顔で挨拶していた。
さすがである。
でも、工場内は、危険がいっぱい。
のこぎりの機械が回り、鋭利な刃物がいっぱいだ。
だから、そこは、ホント神経を使う。
正直、微笑んではいられないのだ。
おじいちゃんである、親方は、たっくんが来ると、すぐに
機械の電源を切り、機械を止める。
それ位、敏感にならないと、取り返しがつかないことになるから。
でも、本人は、そんなことはおかまえ無しに走る回る。
一番の微笑みは、台車に乗って、一人でウルトラマンごっこを
していた。
彼、結構、一人遊びが得意です。
私も、小さな頃は、工場が遊び場だった。
今思うと、それも、危険だったんだと思う。
でも、たんす屋に生まれた宿命。
この子も、こんな想い出を背負って、成長していくのだろう・・・。

桑原家のルーツ。

   晴れ。     でも寒い・・・
三連休なので、いつもは寝ている時間なのに、
芋焼酎を飲みながら「情熱大陸」を見ていた。
今日の特集はパティシエ。
フランスのクープドモンド(お菓子界のオリンピック)での
挑戦だった。
結果は金メダル。
素晴らしいエンディングだった。
実は、私、この手のグルメ番組は以外と好きだ。
工場が休みの時は、以外と、この手の番組を見ることは多い。
なぜなのか?
実は、桑原家のルーツは料理人だった。
それは、桐たんす工房を創業した私の祖父である
桑原松太郎さんの父親が、素晴らしき料理人だったのだ。
ここだから言うが、明治天皇がここ加茂市に来たときに
その昼食を作ったと言われている。
その名は「桑原留治」
「四条流料理職」と墨で書かれた看板が今でも残る
桑原家のお宝だ。
私は、桑原家のルーツである「四条流」という料理の
流儀を以前から結構調べている。
でも、以外と出てこない。
この留治さんが、関わっていたとされる「かまぼこ屋さん」が
新潟市内にあった。
その名は「竹中」
私の記憶では、私が小学校のときにお正月になると
贈られてきた記憶がある。
その美味しさは、今でも覚えている。
小学生の私が、今でも覚えている味。
それ位の味は、想像を絶している。
でも、残念ながら今、竹中は存在しない。
私が知る桑原家のルーツは、四条流料理職である「桑原留治」
さんである。
ただし、料理人だけあって、かなりの酒豪だったらしい。
それを見ていた、息子の(私の祖父)松太郎さんは、
料理人だけは、嫌だったという。
でも、その恩恵は結構受けていたようだ。
聞いた話によれば(ホントかどうかは別)、新潟市内の
老舗料亭、行形亭の職人を務めていた時代は、
よく手作りの「ごま豆腐」を食べさせてくれたと、亡くなった
祖父(松太郎)から聞かされた。
そんな料理人の姿を見て、桐たんす職人から、独立し
桑原たんす店の創業に至ったのだが、
その孫や、ひ孫にも、料理人の血はどこかに
引き継がれているのだろうか?
料理の腕よりも、飲んべいの血は確実に受け継がれて
いるような気はする。
「四条流」に関する事で、お知りの方がありましたら、
是非とも、連絡をいただければ幸いです。

5年間の計画

     晴れ。    もう春だな。
昨日の話(昨日じゃなかった、その前だ)に引き続き、今日も
職人らしくない、経営的な話ですみません。
昨年から、桐の蔵の5年先の計画を立てている。
職人らしくないなぁ〜〜って思うかもしれないが、
一応、経営者なので・・・
でも、こう言う計画って、私、以外と好き。
この先、どうなるか分からないが、そのどうなるか分からない
計画を立てるのは自由だ。
だから、好き勝手な計画が立てられるし、誰にも迷惑は
かからない。
でも、私が立てた計画なので、そのとおり行かないと、
私が責任を取らなければいけない。
だから、好き勝手な計画は立てられるが、その責任も
伴う。
で、5年先の計画、ある方のアドバイスのもと、
計画を立ててきたが、どうも、私自身、ピンと来ないところがあった。
腹に落ちないと言うか、この計画で行く自身が湧いてこない。
それで、そのアドバイスしていただいた方に、申し訳ないが
少し待っていただく事にしてもらった。
何をするにも、やっぱり自身の考えで、言葉で、計画を
立てたい。
例え、それが無謀な計画であったとしても、その責任は
自分自身なのだから。
でも、この計画があるから、この先、桐の蔵の方向性と、
生き方が生まれるのだ。
何かの雑誌で読んだが、企業は(桐の蔵は企業ではないが)、
まず、生き残ることだ。
それがあって、お客様とのお付き合いも継続できる。
儲かる儲からないは、二の次であって、企業、会社は継続
していくことに意味があるのだと・・・
私も、三代目の後継ぎだ。
その後は、弟が継ぐと思うし、その後は、誰かに次いで
欲しいなぁーーーと、本心では思う。
それは、創業者である、桑原松太郎さんもそう、思って
いるだろう。
話が、飛んでしまったが、これから5年先の計画は、
今のこの激動の時代、とっても大事だと感じている。
常に、5年先を見ている職人になりたい。
経営者という、職人に・・・・・

展示会が終わったあとに・・・

  晴れ。   暑い。どういうこと?・・・
今年初めての展示会がスタートした。
最初は、地元、新潟です。
新潟は雪もなく、お出かけするにもグットな日が続く。
昨日の日曜なんて、ずーーーーーと、晴れていた。
2日間の展示会にお出かけいただきましたお客様。
本当にありがとうございました。
また、お求めいただきましたお一人お一人のお客様には、
この場をお借りしまして、お礼申し上げます。
展示会初日の土曜日は、ホント、たくさんのお客様に
お出かけいただき、多くのご縁を頂きました。
その反動からか、日曜日は、お客様の数は少なかったものの、
一人一人とじっくりお話が出来、ご縁も深いものが築けたと思います。
天気にも恵まれ、ツキもあった展示会だっと思います。
お陰様で、いいご縁が今回も持てました。
○○さん。わざわざお越しいただき、ラフテーの差し入れ
ありがとうございました。
今回の展示会は、ホント、深くお付き合いのできる
展示会でした。
ありがとうございました。

今年の始まりです。

    晴れ。    とっても暖かい。もーー今年はこのまま行くかも?
明日から、今年初めての展示会を地元、新潟で開催する。
ここ数年、一年の始まりの展示会は、ずっと地元で開催してきた。
これも、「始まりは地元で」と、何となくゲンを担いだというか、
一年の始まりは、やはり地元だな。といった、
ケジメから地元で開催してきた。
今、その準備から帰ってきたが、今年は、雪もなく
お出かけには、最高の展示会になりそうである。
で・・・・・。
展示会場から、工房に帰ってきたとき。
一本の電話があった。
その電話は・・・
今年も、米びつが忙しそうな予感。
また、関西とのご縁も深まりそうである。
私の修行の土地が、関西だったからなのか。
ホント、桐の蔵は、関西の方々とのご縁が多く、深い。
私、関西大好きですから。
でも、明日からは地元、新潟での展示会。
たくさんのご縁がありますように。

テレビ局へ、宣伝に・・・。

 雨のち、曇り。      寒い。
今週末の新潟市内での展示会のために、
以前から予約していたテレビ局に、展示会の宣伝に
行ってきた。
なかなか仕事の段取りが終わらず、しょうがなく
仕事を途中で止めて、急いでテレビ局に行った。
このテレビ局は、以前にも出させていただいた局なので
勝手は何となく分かっていた。
でも、今回は数年ぶりだったので、担当者の方や、
リハーサルの仕方も変わっていて、一新されていたって感じ。
テレビって、どれくらいの人が見ているんだろう・・・
これって、全く分からない。
無事に放送を終え、工場で残りの仕事をし、
帰宅したら、嫁さんが「○○君(長男の友達)のお母さんが見たって・・・」
という、早速の反応が返ってきた。
放送時間は午後5時半過ぎだったから、主婦の方は
以外と家事をしながら、聞いていたりするかも・・・。
今年は雪もなく、出かけやすいと思う。
週末は、いいご縁がありますように。
どうぞ、お時間を作ってお出かけください。

音でわかる。

  晴れ。   でも、雪も降ったし、寒かった・・・。
弟が、勝手にブログを変えてしまった。
兄ちゃん、今日から、このブログだからって・・・
やり方は、後で、教えるからって。
おい!。
で、皆様。
大変申し訳ありませんが、新しいところからの再スタートです。
申し訳ありませんが、何卒、宜しくお願いいたします。
仕事をしている音で、その人が、どんな仕事をしているか、
プロの職人は分かってしまう。
私も、修行時代は、良く、それで怒られた。
突然、「おい、カンナの押さえ、もっと出せ}などと、突然言われる。
こっちは、「えっ、なんで!」と思うが、もうお見通しなのだ。
「音で・・・・・」
今でこそ、その意味も、その音も、そうだったな。
なんて、分かるが、その頃は、一生懸命だから、そんなことは、
全く分からない。
でも、道具を使っての仕事って、音で、大体が、分かったしまうんだな。
これが・・・。
私の仕事場(一階)で、仕事をしていると、その真上(二階)で仕事を
している、小野塚君の仕事は、手に取るように分かる時がある。
カンナをかける音は特に分かりやすい。
今日は、久しぶりに小野塚君の隣りで仕事をしたが、
ちょっと見ただけでも、気になるところがあった。
それも、やっぱり音が最初だった。
カンナの刃の出方が少ないのだ。
だから、ガタガタ音がするし、余計疲れる。
荒削りと仕上の、2つのカンナを持っているのだから、
荒削りのカンナの刃は、もっと出して。と言ったのだが・・・。
職人は、五感を研ぎ澄まして仕事をしている。
常に、周りを見ているし、その先の先までのことを考えて
段取りもする。
棋士なんて、その最たるものだろう。
「五感を研ぎ澄ます」
これって、職人として、とっても大事なことだと思う。