1.会社での出来事

読売新聞 都内版

明日から、東京・日本橋で展示会。
それに先だって、今日の「読売新聞・都内版」朝刊に
桐の蔵の展示会の事が載ったらしい。
でも、小さな記事とか・・・。
今はもう売っていないだろうが、どんな記事だったんだろうか。
見つけた方は、連絡いただけれと嬉しい!
このことを知らされたのは昨日。
読売新聞の記者さんから、工場に電話があった。
「えっ!」と思ったが、この記者さん自身が興味があるとのことだった。
女性の記者さんだったので、高価なんでしょ?とか、
どんなデザインなんですか?とか、電話でいろいろ聞かれた。
時間があったら寄りますね。と最後に一言。
お待ちしております。
今日の東京は暑かったらしい。
明日も?
毎回、東京の展示会では、本当に多くの方のご縁と、
いろいろな出会いがある。
今回もどんなご縁をいただけるのか。
楽しみです。
明日は、朝5時30分。
気をつけて行ってきます。
また、お時間をお作りいただきまして、是非、お出かけ下さい。

木は動く。

私たちが使う材料は、新潟県の中でも雪深い、十日町市周辺で
育った新潟県十日町産の桐。
それを育てている高野さんのところに、親方と私が
見に行って直接仕入れてくる。
今年も、この桐は桐の蔵に敷地内に5月の連休前後に干された。
桐の丸太は製材所で、それぞれの厚さに製材(切って)
もらって、数年、自然乾燥で、外で干される。
だから、一枚一枚の板は、当然ながら合板ではなくムク板。
一枚板だ。
でも、一枚板は当然ながら、反る。
でも、その反りを計算しながら、使う場所を決めるのが
木取りの仕事。
ムク板は、木裏に反る。
だから、それを計算して反ってもいいように使う。
今日は、棚板(引出しが入る場所を支える板)が、反っているという
ので、確認してみる。
確かに、反対に反っている。
普通なら、この方向でいいのだが、こんな場合もある。
桐は、生きているから。
計算通りには行かない場合も多い。
それが、生きている木を使う難しさでもある。
木は人間と同じように、いろいろなタイプがある。
だから面白いし、長い間、付き合っていけるのだ。
合板の家具のように、人工的に作られた素材を使い、
極力、手間をかけないで作られたモノは、味気がない。(と、思う)
木を植え、育てる方とのお付き合いから始まり、
ほとんどが手作業で作り出されるモノ。
桐たんすになっても、生きていて、木は動くのです。

失敗は必要。

フェーン現象の影響か、朝から気温がグングン上がり、
午後、工房の二階では気温計は35度を指していた。
暑い!
そんな中、見習い君も黙々を仕事をこなしていく。
この子(23歳)、結構、仕事は速い。(仕事によってだけど)
ある仕事は、だいぶ慣れてきたな。と思って任せていると、
実は・・・。だったりする。
今日も、機械で板の厚さを決める作業を見守った。
もう何度もやっているので、大丈夫。と思っていたが、
機械に板を入れた途端、何だか、結構大きな音で、機械が
板を削っている。
焦った・・・。
音で分かる・・・削りすぎだと・・・。
結局、大事には至らなかった。(ふー、助かった)
親方は、怒りそうな雰囲気だったが、
若いうちは、失敗して身に付いていくってことも多い。
今回の失敗(そんな失敗でもないが)は、作り直さないだけマシ。
この事で、彼は同じ事をしなければ学んだことになるから。
私だって、若いときは何度も同じ失敗をして、親方に怒鳴られた事は、
数え切れないくらいある。
失敗は一度はまだいい。
二度、三度になると、さすがに怒鳴りがやってくる。(親方はやはり怖い)
それは、桐は無駄にしない!、集中してやれ!という親方なりの
考えからなのだろう。
見習い君の失敗は、教えている私の責任でもある(ほとんどがそう)
だから、私がしっかりしなければいけない。という事なのだが・・・
教える方も、次の仕事を段取りして、これをやってもらって、
私はこの作業をして、次ぎにこれをやってと、2手先、3手先の作業を
頭でシュミレーションし、段取りしなくてはいけないから忙しい。
それも、学ぶことに一つだけど。
今日も、職人小池さんから、カンナの使い方を教わっていた。
桐の蔵の職人さんは、見ていないようで、実は、しっかり見ている。
見習い君の仕事なんて、もう、お見通しの世界かも知れない。
でもやさしいから、間違っていることや、もっと、こうした方がいいと
思ったことがあっても、すぐには行かない。
そーーーと、行って、やさしくアドバイスを贈る。
一流の職人さんは、教えるのも上手い。
私も、毎日が勉強です。

カンナを使えないと・・・

見習の新人君が来てから、もうすぐ2週間。
口数は少ないけれど、黙々と仕事をこなし、
学ぶ姿勢が感じられる日々。(だと思います)
まだ早いかな〜、と思ったが、昨日から、カンナの使い方を
教えた。
何ていっても、桐たんす職人はカンナが命ですから。
使い古したカンナを持たせ、これ使って練習ね。と言い
自由に使ってもらう。
当然ながら、持ち方、引っぱり方などの基本は、職人小池さんに
お任せ。
私が教えるよりも、ベテランが教えたほうが迫力あるから。
何も知らない人を教えるって、最初が肝心。(だと思う)
なまじ知っていると、そこでギクシャクしてしまうが、
何も知らないと、素直に聞いてくれるから飲み込みが早い。
この見習君は、最初にカンナを使った姿勢はホント、初めてかな?
と思うくらい、形が良かった。(褒めすぎかな・・・)
でも、私の修行時代を思い出すと、仕事をする姿勢(形)って
とても大事。
典型的な形から入っていくタイプです。
今日は、カンナ砥ぎから始まり、結構な時間カンナの練習が
出来たと思う。
ホント、一人前の職人になるには、この積み重ね。
これが我慢できないと、職人の道は閉ざされてしまう。
なんでもそう、日々の積み重ねが重要なのだと思う。(私にとっても)
まだまだ最初なので、職人横山さんが、焦らずじっくり行こう!と
言っていた。
確かにその通り。
職人の人生はこの後、数十年も続く。(このまま行けば)
それに比べれば、まだまだ2週間ですから。
君はまだ若い、焦らずじっくり行きましょう。

H様。ありがとうございました。

思い起こせば、2月の第四土曜日。
まだ肌寒い、名古屋での展示会に、H様は神戸から
初めての名古屋にお出かけいただきました。
御嬢様が5月にご結婚されるとの事。
その際に、念願の「加茂の桐たんすを持たせてあげたい」
私は、その言葉が忘れられませんでした。
今日、その桐たんすをお届けに、東京まで。
前日に仕事を終え、神戸から東京に入ったH様。
初夏を思わせるような天気の東京には、朝、10時前でしたが
無事、到着しました。
お住まいは閑静な住宅街のマンション。
初めてお会いするお嬢様とお婿さんは、予想に反して
まだ、お若い。(すみませんH様。ホント、お若いお二人でした)
でも、きちんとされていて、さすがでした。
一時は、洋服たんすがお部屋に入らないかな?・・・・
と思いましたが、何とかなるものです。(私は入ると思っていました)
で、無事にお届け完了。
美味しいお茶と、お菓子まで頂いてしまいました。
私たちはホント、ありがたい仕事です。
人生の節目に関わらせていただく事が出来、
その後も、ずっと、長い間、ご縁をいただく事が出来る仕事です。
まだお若いお二人に、桐たんすを待たせてあげたい。と
思い、それを実現されたH様の思い。
初めてお会いしてから、約4ヶ月と言う間でしたが、
本当に、嬉しい時間でした(いつもブログ見てますよと、言って頂いて)
これって、職人冥利につきますね。
私たちと、職人さんまでに、お心遣いをいただきまして、
本当に、ありがとうございました。

職人になりたい。

久しぶりの休日を満喫した連休モードも終わり、
今日からはお仕事。
そして、今日から桐の蔵の工房に見習の新人さんが来た。
昨年末から、この先を見据えて新たに職人さんを募集したところ
予想に反して、ホントすごい人数の募集があった。
(まだ職人も捨てたものではない・・)
毎日、職安から面接していただけないでしょうか?の電話が
鳴り、その度に、面接の繰り返しだった。
求人は一人。
それに応募してきた人は、10人を越えた。
(こんな小さな工場にとっては凄いことだ・・)
で、面接した方は、全部で5人。
これも、信じられない数だった。
面接する私の基準は、すでに決まっていた。
①、未経験者であること。
②、十年後、一緒に仕事が出来ること。
この二つの基準で面接に望んだ。
これだけは譲れないと・・・・。
桐の蔵の採用は、普通とは違う。
この面接で、通ったとしても三ヶ月間の見習い期間がある。
それまでのお給料は微々たるもの。
その三ヶ月間で、この先、いけるのか、いけないのか、双方で
決める。
私にとっても、見習さんにとっても負担はない決め方。(だと思う)
見習いさんが三ヶ月間で、ダメだと思えば、そう言ってと伝えてある。
私が、三ヶ月間でダメだな、と思ったら、それを伝える。
三日、三週間、三ヶ月。
なぜか、これって当てはまる。
桐の蔵に新たな人材が来たのは、ホント、十年ぶりくらいだ。
この新人さん。
この先、どうなるか。
三ヵ月後には、このブログでお知らせします。

70歳のふたり。

桐の蔵の親方の同級生からお預かりしていた、古い桐たんすの
修理・再生が完成した。
その旨を伝える電話をさせていただき、少ししてから、親方の
友人が桐の蔵を訪れてくれた。
そう、ふたりは同級生で、今年、70歳。
でも、そのふたりは全く違うタイプだった。
桐の蔵の親方は、気が短く頑固な、典型的な職人タイプ。
本当はそうではないのだが、一見、近づきにくい。
で、同級生はと言うと、穏やかで、物腰が柔らかい。
とても、いい感じだ。
その方の仕事は、大工。
同じ、木を使う仕事だ。
そんなふたりが、桐の蔵の小さく狭い事務所で話をする。
ホント、これが70歳って感じなのかと思う。
とっても、元気!
言わずと知れた、桐の蔵の親方は、バリバリの現役。
まだまだ、私を怒鳴り散らすし、職人さん達にも
一目置かれている。
桐の蔵の寺内貫太郎(知っているかな・・)みたいな存在。
で、その友人はというと、ホント、物腰が柔らかい。
両手で、指を7本出して、もう70歳ですから・・・と
あくまでも穏やか。
どっちが良いとかt言う問題ではないが、ここまで来ると、
その個性がとても面白い・・・。
でも、ふたりとも70歳にして、バリバリの現役。
これって、理想だと思う。
人間って、仕事を取ったら何が残るか。
って、言うよりも、打ち込めるものが生涯合った方がいいと
言ったほうが良いかもしれない。
桐の蔵の親方は、「現場で死んだ方が本物だ!」って、
そんな気がしてくる。
これって、手前味噌ながら凄いことだと思う。
それだけ、自分の仕事に情熱を持っている証かも・・・
でも、70歳のパワーには驚かされる。
私も、見習って、それ以上の年まで頑張っていきたいな。

初代が取り持つ縁。

昨年の春頃だっと思う。
このブログ(まだ、HPの日記だっかな?)で
書いた、初代の作った桐たんすの修理を依頼されたと。
そのお客様とは、その後も、桐で民芸風のたんすの依頼を
頂いたり、今年の1月の新潟市内で行われた展示会にお出かけ
いただき、ご自身用の桐たんすのご注文を頂いた。
その桐たんすが完成したので、今日、お届けに上がった。
そのお客様のご自宅に伺わせて頂くのは、もう4回目くらいかな。
それも、きっかけは、初代の「桑原松太郎」さんが作った
桐たんすを直して欲しいという、一本の電話からだった。
ホント、ご縁というのはありがたいものだ。
桐たんすに墨で書いてあった、「桑原松太郎」の文字を
頼って、色々なところに電話をして、桐の蔵を探してくれたのだ。
これって、ホント、ありがたいの一言に尽きる。
それが、ご縁で、何度もご自宅にお邪魔させていただき、
桐たんすご依頼をいただいたのです。
昨日書いた、年間計画ではないですが、こんなことは
計画できないのは当然で、予測も出来ない。
でも、なぜか、毎年、多くの方々のご縁を頂き、
計画通り、事が進んでいく。
ありがたいことに・・・・・。
昨年もそうだった。
で、今年も、昨年以上に、多くのご縁を頂いている。
ホント、不思議なようだが
言葉にして、計画すると、それが現実になってくるかな?
ホント、出会いは新鮮ですね。

100年後の仕事と、10年後の会社。

「桐たんすは代々、使っていけます」
これは、桐たんすに関わる全ての方が使う言葉だ。
確かに、その通りであるし、製作する職人さん達も、
そのつもりで、心を込めて手作りしている。
代々と言うと100年以上は使えなくてはならない。
だから、つくる方も、相当な神経を使う。
だって、代が変わっても、作品は残るから、その方達からも
評価されなくては一流品とはいえない。(と私は思う)
実は、今、10年後の桐の蔵の計画を作っている。
「10年後、桐の蔵はこうなっている」、と捉えて
さかのぼりつつ、計画を立てている。
その通りになるとは思っていないが、それに近づきたい
と努力することが、今の私には必要だと思うから・・・。
毎年、年間計画を立てて、それに近づくようには努力する。
それと一緒で、10年後の桐の蔵もこうなりたいと思うのは
自然のことだ。
10年後って、遠いようであっという間だ。(と思う・・・)
いつも言うが、私たちの仕事は、人の手によって作り出されるものだ。
だから、人が大事だ。
作り出す技術を持った職人さんが、この先、どれだけ残っているか。
10年後はどうなのか?を考えるとぞっとする。
だから、その辺も考えての10年計画だ。
10年後、私は48歳。
弟は43歳。
そして、将来はサッカー選手か、たんす屋。と、
言っていた息子は、21歳。
この辺が、ポイントだと思う。
たかが10年後。
されど、10年後だ。
でも会社は、存続しなければ意味がない。
だから、10年後を見据えて行こうと思う。
100年後も使える桐たんすと、
10年後も元気な桐の蔵であるために・・・。

整理整頓と、職人の質。

職人に限らず、仕事の出来る人の場所は、きちんと整理整頓が
されている場合が多い。
今日、職人の小池さんが、ほぞ組みの工程を終え、その
作業で出た、木くずを丁寧にほうきで掃き、自信の仕事場を
きれいにしてから、次の作業に入っていった。
その場所は、作業をする前よりも確実にきれいになっていた。
これこそが、できる職人である(と私は思う)
私たちの仕事は、手作りである。
自分の持ち場の、作業場が汚ければ、作り出す作品が
きれいに出来るはずがない。
その上、効率は悪いに違いない。
段取りは、もっと悪くなると思う。
そして、何よりも、気分が悪い・・・
桐たんす職人の仕事は、手作業が多いので、出る木屑などは、
知れている量だ。
でも、工程の節目、節目には、必ず木屑を掃いて、きれいにしてから
次の作業に入るのが、できる職人だと私は思う。
桐の灰汁を抜くために外に干してある、桐の板もそうだ。
やはり、見た目にもきれいに、そろえて干してある方が、気持ちがいいし、
効率よく、雨に当たり、灰汁が抜け、乾燥の度合いも平均にいくと思う。
プロの仕事って、見ていても美しいものだ。
これは、桐たんす職人だけでない。
ケーキ職人でも、パン職人でも、いい店はきれいだし
美味しい。
きれいって、大事なことだと、私は思う。
きれいな仕事をする職人って、気の使い方が違う。
いろいろなことに、気が付くし、気の付き方は作業の工程の
はるか先を行っている。
これが、本当のプロだ。
当たり前のように言われるが、整理整頓はプロの基本。
ベテランになれば、なるほど、当たり前をきちんとこなしている。