1.会社での出来事

段取り=先を読む力

今日は、もう、春だ!って感じの天気。
工場では、ストーブを消し、何と!窓まで開け!、ホント、久しぶりに
太陽の光を浴びた、気持ちのいい日でした。
春は、もうそこまで来ています。
今日は、あるお客様から頂いた、特注の桐たんすの段取り。
親方にその図面を渡し、木取り(準備)を行い、その部材作りが始った。
さすがに、特注なので、一つ一つ確認しながら親方から提供される
木取りの部材を整えていく。
全て、部材が整い、組み立ての段階になっても気が抜けない。
頭の中で、このたんすには、この板と、この板、この材料が必要で・・・
そのためには、この作業を先にして、板を張って、乾く時間までに、これをやって
乾いてからこれを削って、そして、その頃にこれが出来上がっているな・・・
もう、毎日が頭の中ではこの連続です。
桐たんす職人は、段取りが命。
一日の作業の進行が、その日の朝(前の日の夜というか・・・)には、全て出来上がっていて、始業からは、その段取りに従って、バリバリモードに入ってく。
段取りがいい!って言う事は、いかに先を読んで、効率よく仕事が出来るか。
だと、私は思う。
常に、これを先にやった方が良いか。
それとも、こっちが良いか。
そんな事を考えながら、仕事を進めていく。
ただ単に、与えられた仕事をこなしていくのとは、大違いな作業である。
職人さん達は、全ての工程でそのプロセスがバッチリと計算されている。
その段取り(先を読む力)は、さすがと言うくらいだ。
さすが、プロフェッショナルである。
私も、まだまだ20年の経験の中で、どうやったら早く、正確に
よりよいモノ作りが出来るのだろうか?と毎日、考え、段取りを組み立てる。
それは一日の時間内での戦いでもあり、お客様が喜んでもらえる作品を
お届けしたい!という思いからの行動である。(そのつもりです)
最近、毎日のように、お客様からのお手紙を頂きます。
そこには、届いた桐たんすの写真を、わざわざ撮っていただき、送ってくれる。
そんなお客様の温かな思いのお手紙の数々です。
決して、計算したように先を読む事なんかは出来ませんが、
仕事の段取りだけは、読めているつもりですが・・・
また、今晩も明日の段取りを考えながら・・・

マスコミの影響力

今年初めての地元での展示会が昨日終了した。
お陰様で、本当に多くのお客様にお出かけいただきまして
ありがとうございました。
この場をお借りして、御礼申し上げます。
今までに、新聞、雑誌、テレビなど、幾多のマスコミの取材を受けてきて
その影響力はすごいものだと実感していました。
今回も、地元紙の新潟日報に大々的に取り上げられたのをきっかけに、
初日には、新潟総合テレビが取材に訪れ、そしてFM新潟にも流れたという・・・
事前に見ることが出来た、新聞の新潟日報の記事は読ませていただいたが
テレビとラジオは全く、どんな感じなのか分からなかった。
でも、そのマスコミのお陰もあって、初日から本当に多くの方々に
お出かけいただいた。
私と、弟の2人での接客なのだが、全くお話しが出来なかったお客様も
おられ、せっかくお出かけいただいたにもかかわらず、申し訳ありませんでした。
今回は、2日間の展示会中に3回もお出かけいただいたK様。
そして、以前にお求めいただいてとても良かったのでと、また改めて御注文を
頂いたs様を始め、多くの方々のご縁がありました。
この時期としては、まずまずの天候も味方してくれ、楽しい展示会でした。
改めて、マスコミの影響力に驚くと共に、その反面、常に良いものづくりを
していかなければならないというプレッシャーを感じております。
本当に、ありがとうございました。

新聞社からの取材

24日の火曜日だっただろうか、新潟県内の新聞社、新潟日報社から
電話があり、取材を受けた。
以前は、何度か桐たんすの再生事業や、桐チェストシリーズなどで取材を
受けたことがあったが、ここ最近はご無沙汰していた。
今回は、キリモニシリーズ(桐チェスト)の新作が、今日の新潟日報の
経済面にでかでかと紹介された。
(後日、桐の蔵作業日記で新聞を写真で紹介します)
この作品は、お客様との会話から実現したもの。
普通、引出しには取手金具がつくが、そのお客様はそれがイヤだった。
でも、私達のデザインを気に入ってくれていた。
で、取手金具を付けずに引出が引けて、デザインも損なわず、シンプルに・・・などなど
そこで完成したのが、この作品。
もうすでに、各地の展示会ではお目見えしているので、見ていただいた方も
多いと思う。
この作品、発表と同時にかなり多くのお客様にお求めいただくことができた。
それも、展示品と同じではなく、各々、ご自分の好みのスタイルでご注文いただく
ことが多い。
これってとっても良いことだと思う。
だって、世界に一つだけの自分仕様の桐チェストだから・・・
今週末は、今年最初の地元、新潟市内での展示会。
この作品の他に、新たな新作が、2種類お目見えします。
どうぞ、お時間を作ってお出かけ下さいませ。

温泉旅館

先日から、温泉旅館さんとのご縁が続いている。
全くの偶然なのだが、桐チェストの温故創新シリーズが県内の温泉旅館の
什器にピックアップされたり、今回は、高級旅館のおかもちの依頼があったり。
(これも作業日記に詳しく書いています)
こんな業界から依頼があるとは・・・
でも、桐の軽さをある方は認めてくれていますし、桐の蔵独特のデザインが
その旅のイメージにあったりと、声がかかったのは素直にうれしい。
今は、陶芸のお店に置くという、低いチェストを作っているし、
以外と、お店で使ってくれる方も多い。
それは、やはり既製品にはない、オリジナルのデザイン。
よくお客様に言われるのは、デザイナーがデザインしたいかにもと言った家具
ではない。と言われる。
そりゃそうだ。桐の蔵の作品は、全て私達のデザイン。
プロのデザイナーに頼んだりしない。
現場の声と、お客様の声から生まれるデザインなのだ。
だから、どちらかというと、野暮ったい。
デザイナーさんのように、シンプルで尖ったようなデザインではないのだ。
地元の同業者の中でも、最近は、桐の蔵のデザインによく似たものも見かける。
それは、それでしょうがないことなのだが、そのまんまマネはやめて欲しい。
でも、デザインだけでは絶対にダメだと思う。
そこには、職人さんの思いと、工場のミッションが絶対いる。
長く使い続けていけるものだからこそ、デザイン以上に大切なものが
あるのです。

手間と思い 

桐たんすの仕上げ方法(塗装)は、伝統的に「との粉」というものを刷毛で塗っていく
との粉塗装が一般的だ。
との粉とは、粘土質の土で産地は京都の山科が有名。
桐の蔵のとの粉も山科産を使っている。
そのとの粉に、染料(やしゃ又はやまと液)というものと水を混ぜて、それを何度も
塗っていくのだ。
塗った跡は、天然のロウをまんべんなく塗って艶を出す。
それに金具を付けて完成。
大まかにはこのような工程だ。
それ以外には、焼き仕上げや最近では、桐の蔵の桐チェストに使われているような
天然の成分から採った「自然オイル」など。
焼き仕上げは、バーナーで桐を焼いていく。
表面の焦げは、たわしで落とした後、お湯でしっかり拭く。
そのまま仕上げても、そこにとの粉を入れていくことも出る。
今日は、この焼き仕上げをやっていた。
焦げをたわしで落としていくのだが、煤が飛んで大変。
体の中にも入ってくるし、マスクをしているが、鼻もまっ黒になり、
結構汚れる。
でも、こげ茶色に仕上がる桐は、渋くていい感じ。
手間のかかる仕上げ方法だが、それなりに味わいが出る。
やはり手間を惜しんでは、良い作品は作れない。
桐たんすに限らず、なんでもそうだと思う。
手間と思い。
この2つのものを、より込めることで、一層仕上がりが良くなると思っている。
職人の手間と思い。
できる限り、精一杯かけてあげたい。

新聞記事の影響

少し前、新潟日報(新潟の新聞社)が新潟市内を中心に配布しているニュースペーパー
(アッシュ)の取材を受けた。
そのニュースペーパーが先々週(だったかな)に配布された。
私の住む加茂市は配布対象外だったので、すぐに見ることは出来なかったが
弟の住む地域に入っていて、持ってきてくれた。
テーマは「伝える」
まさしく、桐の蔵のミッションである。
取材中は、桐たんす工場の長男として生まれたことから始まって、後を継ぐと決めたことや、
2年間の修行中でのこと、そして現在のことなど、けっこう聞かれた。
どんな記事になっているんだろう、と思っていたら、うん、さすが、副編集長。
桐の蔵の他にも、お豆腐やさんや、漆職人など、現代の生活から忘れ去られようとしている
業界の若手の方々が、独特の視点でがんばっている姿が、記事になりとてもおもしろかった。
伝統を次代へと「伝える」
これは、私にとっても使命であり、職人と呼ばれる方々の使命であると思う。
洋風化(もうそんな事は当たり前で、そんな言い方はしませんね)が完全に
受け入れられている生活。
その中で、職人として培ってきた「伝統」を、作品の中で表現していかなければ
これからの時代は難しいと感じています。
いつの時代も、流れているのは確かです。
時代の流れに、ある程度沿っていくのも、その時代に生きる職人の
運命かも知れません。
ただし、目先の流行だけ追ったところで、「伝統」という重みと、
職人としての基本がなければ、振り回されるだけで終わってしまう、そんな気もしています。
「伝える」という素晴らしいテーマを与えていただきました、副編集長にお礼を言わせて
いただきます。
改めてニュースペーパーを読み、そう感じています。

板を組む

桐たんすづくりにおいて、桐たんす本体を組み立てて作っていく作業が
とかく注目されますが、それと同様に木取りと板組みという作業があります。
この木取りと板組みというのは、注文を頂いたたんすのサイズに合うように、
桐の板を切っていくという工程が木取りというものです。
簡単に言いましたが、これがたんすの良し悪しを左右すると言っても過言ではありません。
どの板をどこに使うか、という見極め。
桐の蔵では親方の仕事です。
そして、切った板を使って組み立てる前のパーツを作っていく工程を板組みと呼びます。
これも簡単に言ってしまいましたが、この工程も重要です。
板には木表と木裏があり、これを間違うと板を反って使い物にならなくなるのです。
また、板の木目と柾目を組み合わせて、美しい表情を作りだしていくのも、この板組みと
呼ばれる重要な仕事です。
私は、今日、板組みをやっていましたが、いかに、美しい桐の表情を作り出すか。
それはセンスと創造性に頼るところが大きいと思います。
ムクの板には傷は節もあります。
それを、神経を集中させて取り除き、美しい木肌を再現するには、それなりの
経験が必要です。
ただ単に作業が出来ても、いかに美しく見せることが出来るか。
職人は10年経っても一人前にはまだまだ。と言われるのはこの辺にあるようです。
木取りも板組みもどちらかというと地味な作業です。
でも、この地味な作業なくしては桐たんすづくりはありえません。
こうした地味な作業が、桐の蔵のモノづくりを支えている事は、言うまでもありません

裏を出す。

刃物を研いでいくと、次第に裏がなくなってくる。
いつも良く使うカンナの裏出しは良く行うが、今日はノミ。
ノミの裏がなくなっていた。
昔から、カンナの台直しと、裏出しが出来なければ一人前とは言わない。と言われる。
刃物は、地金と鋼で出来ているので表と裏があるのです。
普通に研いでいくと、刃物が段々と減っていくと同時に、裏もなくなってくるのです。
そうなると、刃物は切れません。
そこで、裏出し開始です。
刃を表から金槌で叩いて、裏を出します。
この作業が肝心。ここで全てが決まります。
カンナだったらカンナ台に当て、裏が出ているか確認。まだだったら、こまめに見ながら、叩きます。
次は、金属の板に裏を押し当てて、こすり合わせて叩いて出てきた裏を出していきます。
(う〜ん、言葉にすると難しい・・・)
この作業、全身の力を入れて行うので、結構、力がいります。
夏は汗だく、冬は暖かくなる作業。
カンナの刃や、のみ、けひきの刃など、刃物をこうして、裏を出して、使い続けていくのです。
なんでも、表と裏でひとつ。
表も、大事だけれど、裏も大事なのです。

一寸、一尺、一分

今日は一日中、桐たんすの引出しの底になる部分の板を作っていた。
通称3分板と呼ばれる厚さ約1cm、長さ45cmに切った板をずっと削って、かんなを掛けていた。

桐たんすの業界で使う寸法は、センチではなく一寸、一尺、一分を使うところが多い。
最近は、センチを使うところも増えてきたけれど、桐の蔵は今だに寸、尺、分。

私自身はどちらでも使うことができるが、職人さんはセンチはダメ。
昔ながらの寸、尺、分なのだ。

正確に言うと一寸は3.03センチ、一尺は30.3センチ、一分は3.03ミリ。
これだから、尺をセンチに直すととても半端。

今はお客様との図面のやりとりはセンチで行い、それを寸、尺、分に直した図面を職人さんに渡す。結構手間取る。

職人さんは昔から、この単位で仕事しているので、センチで言われてもピンとこない。
親方なんかは、普通の会話でも、センチでなく、寸を使っているくらい。

この寸法、他に使っているところはあるんだろうか。桐たんす業界と比較的、似ている業界は桐下駄屋さん。でも、今は桐下駄屋さんもとても少ない。

県内でも専門にやっているところは一軒くらいかな。桐を扱うところは、こうして段々と少なくなっているのが現状かも。そのうち、寸、尺、分なんて寸法も絶滅するかもしれない。

必要かと言われれば、そうではないかもしれないが、たんす業界で使われてきた寸法。こんなところも、大切に伝えていきたい一つだ。