2018年 9月 の投稿一覧

東京まで桐たんすのお届けでした。

新潟では多くの田んぼで稲刈りが始まり、秋も本番を迎えました。
多くの皆様は3連休の真っ只中だと思いますが、今日は、東京まで桐たんすのお届けに行ってきました。

起床は午前5時半。いつものように工場で弟と待ち合わせし、6時前に出発です。

3連休の中日ですが、関越高速の上り線は比較的空いています。道中は至って順調に走り、いつものように三芳SAで休憩し、いざ、お客様の元へ急ぎます。

今日のお届けは西東京市へ。
ナビは所沢ICで降りるルートで、そこから下道を走ること約30分で、お客様の素敵な、マンションに到着でした。

そして無事に素敵な和室にお届けさせていただきました。K様、3連休の中、本当にありがとうございました。

その後は、所沢ICから関越道に乗り、一路、新潟へ。しかし、ここからが都会の宿命でした。

所沢ICから乗った関越道は、行楽に向かう車で大渋滞。今までにも何度も大渋滞にはまっていますが、今日も、なかなか進みません。

お客様のマンションを出たのが、午前10時過ぎ。
本来であれば、遅くても午後1時には燕三条ICに到着のはずでしたが、燕三条に到着したのが、午後3時前。さすがに3連休です。

その後は、やっと工場に到着し、残務作業を終え、夕方に帰宅でした。

都会へのお届けは、やはり平日か、普通の週末に限りますね。
連休は、全く読めませんから。

桐たんすの木取り  板を切る  「柾板」

今回は「柾板」
通常は「柾」(まさ)と呼び、木の木目「柾目」の部分の事を言います。

桐たんすは、普通、本体側板や、「引き出し底板」、「衣装盆底板」などには、「板目」を中心に使い、「引き出しの前板」や「扉」などには柾目を用いるという使い方をします。

通常「柾目」は、「柾目の柱」などと表現されるように、直線の木目で目が詰まっていて高価なものとされているように、桐材の柾目も高価な部分です。

なぜ高価か?といえば、一本の桐(木)から柾目は取れる部分が少なく、それ故、高価になってしまうのです。例えて言うなら、マグロの中の「トロ」の部分みたいな感じでしょうか。

今日は、その柾板を切る作業でした。
注文が入った桐たんすの引き出しや扉の長さに合わせて、柾板を切っていきます。

長さを切り終えると、一枚の板から使えない柾目の部分を取り除き、使えるいい柾目だけを残します。(この時点で、約三分の二は捨てることになり、三分の一が残ります)

そこからは、一定の幅で切込みを入れるために、「柾割機」と呼ぶ、機械に手で通していきます。

桐の柾目を取るために薄く製材した桐板(柾板約5mm)は、柾目を真っ直ぐにするために、「目直し」という作業で、柾目を真っ直ぐにしていくのです。

この作業は、また後日、アップさせていただきます。

桐たんすの調子を見る。

今回は、「桐たんすの調子を見る」

調子を見るとは、「完成した桐たんすの出荷前の最後の点検」という意味で、私は、修行時代から使っている言葉。

実は、桐たんすは最後の工程の「塗装」、「金具付け」が終わっても、その状態ではすぐにはお客様の元へは届けられません。(私だけかも知れませんが)

私は、完成して少し時間をおいてから調子を見るようにしています。それはなぜか?

少し時間を置くことで、桐が少し動くのです。動くとは、気候や湿気によって引き出しが増えたり、板が少しだけ張ったりするので、それを含んで、ちょっと時間を置いてから桐たんすの調子を見るのです。

最後の調子を見るのは私。これだけは他人に譲れないと言うか、自分自身がやらないと気が収まらないというのが正直な感想かも知れません。

「調子を見る」事は、桐たんす全体を見て、傷などはないか、引き出しの出し入れはスムーズか、扉の状態は、金具の位置は、
などなど、お客様のご自宅にお届けして、すぐに使えるように、それを想定してあらゆるところをチェックします。

今日は、熊本県にお届けする、胴丸の洋服たんすと整理たんすの調子を見ましたが、洋服たんすは、奥行きが深く、扉も大きいので作る方も大変ですが、調子を見る方も、細心の神経を使います。

今回は熊本県のお客様で遠方のため、お届けは業者さんにお任せしますが、細心の注意で調子を見ます。
お使いいただけるお客様の顔を思い浮かべながら、長い間、お使いいただけるように
職人一同、桐たんすづくりに励みます。

再生たんすのお届けでした。

晴れ。    秋晴れです。

朝晩の風は冷たくなり、本格的な秋を迎えようとしています。

今日は、再生桐たんすのお届けに行って来ました。
午前中は弟が新潟市へ、午後からは私が燕市までお届けに行って来ました。

午前中のお届けは、との粉仕上げの三つ重ねの和たんすでした。との粉仕上げとは、桐たんすの伝統的な仕上げ方法で、
「との粉」と染料である「やまと液」を水で溶いて刷毛で塗っていくという伝統的な仕上げ方法。桐たんすらしい仕上げで、不動の人気がある仕上げです。

そして午後から私がお届けした再生たんすは、三つ重ねのたんすを、2つに分けて使いたいとの要望で再生しました。下台は独立して使い、中台と上台を重ねて使うというちょっとおしゃれな使い方。

仕上げは、こげ茶色の天然オイルで仕上げ、金具は今まで付いていた金具をメッキし直して使いました。素敵なお部屋の和室に、横に並べておいた使い方はとっても素敵です。

金具もなかなか凝った金具でしたので、「メッキし直して使いましょうか」と提案させていただき、こげ茶色のカラーと、当時の凝ったデザインの金具も、ピッタリと相まっていい雰囲気に仕上がりました。

K様、ありがとうございました。

桐たんすは、古くなって壊れていても、修理・再生して改めて使っていける、本当にエコで素晴らしい日本の伝統文化です。
修理の仕方や仕上げ次第では、洋風にも和風にもお使いでき、お部屋のインテリアとしても十分に活用出来ます。

最近では、若い方からご年配の方までご依頼が多く、捨てずに使っていくという日本人の大切な生活スタイルが、改めて見直されており、桐たんす屋としては嬉しい限りです。

桐たんすの木取り  板を切る  「裏板」

今日は、木取りと呼ぶ、注文が入った桐たんすの各部分の板を、大まかに切っていく作業です。

まず私は、注文が入ったらその図面を1枚1枚書いていきます。そして、倉庫に行って山のように積んである板の中から、図面を見ながら、一枚一枚板を選ぶところから始めます。

これが結構な作業で、納得する板がないと、積んである板を退けて、良い板を見つけるまで板と格闘しなければなりません。そうして何十枚か見つけた板を、大まかですが「裏板」、「底板」、「盆底板」、立側板、地板、などなど、各部材の板を切っていくのです。

今日は、裏板を中心に切る作業でした。

たんす本体の裏側を支える大事な板ですので、見えない裏側ですが、そこはかなりいい板を私は使います。裏板は長さもあり、
幅も太い板を主に切っていきます。

そうして注文のたんすの裏板を切り終えれば、次の部材の板を切っていくという感じで、少なくても半日、多いと一日、この横切りの機械で板を切っていくのです。

ノコギリが回転し、その上に乗せた板を切っていくという至って、原始的な機械ですが、
これが桐たんす屋の機械、いかにも桐たんす屋っぽくて、私は好きです。

この後は、反りや狂いのある板を熱で平らにしていく作業。
これは後日に。

修行先の桐たんすが届きました。

雨。  肌寒いです。

新潟では、所々、稲刈りも始まり味覚の秋が始まってきました。

そんな中、先日、桐たんすの修理をご依頼いただきましたお客様から桐たんすが届きました。運送会社さんが梱包をほどき、倉庫に置いてくれた桐たんすをひと目見たときにピン!と来ました。

観音開きの中は、びっしりとカビが生えており、桐たんす全体もカビだらけです。

もしかして、この桐たんす、私の修行先で作っていた桐たんすでは・・・。
そんな感じがしたので、桐たんすの扉を開けて中を見てみると、やはりそうでした。
幅4尺の1寸5分厚の立派な胴丸の和たんすでした。

そこには紀州桐たんすの名前が入った「伝統的工芸品シール」と、製作者の名前が。「中田静夫」製作と。私が修行していた31年前に、当時、現役バリバリで働いていた「なかたはん」と呼ばれていた、その職人さんの名前が。

思わず、当時のことがフラッシュバックしてきました。
もう、この会社はなくなってありませんから、いいと思いますが、「和歌山富士木工」という会社で、高校卒業後の2年間、修行させていただきました。

当時、和歌山県の桐たんす工場では一番大きな会社で、職人さんも全員で20人はいたと思います。私が行った頃は、まだ紀州桐たんすは伝統工芸に指定されれいなく、当時の社長が紀州桐箪笥組合の理事長をされており、伝統工芸品指定に向けて頑張っていたことが思い出されます。

この桐たんすの修理を依頼して来られたお客様は石川県のお客様。私も、修行時代、トラックにたんすを積んで福井県、石川県、富山県と取引き先にたんすを配達して来ましたので、石川県ならばこの家具店でお求めになったんだな、と分かります。

まだご存命なのだろうか、「なたかはん」あの頃は、辛かったけど楽しかったなぁ。
久しぶりに修行時代の頃を思い出し、懐かしくなりました。

京都での展示会です。

    

曇り。    明日からは雨みたいです。

今朝起きたら、テレビでは北海道の地震のニュースをトップニュースで伝えていました。
被害に合われました多くの皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

大水害、台風、地震と、今年の日本は被災大国です。何とか、この困難を乗り越えて頑張ってください。出来る限り応援したいと思います。

そして、今週末は桐の蔵の展示会を京都で行います。春以来の京都での展示会です。関西地方や中国地方、四国地方からもお出かけいただける展示会です。

どうぞ、皆様、お時間をお作りいただき、お出かけいただければ幸いです。
心より、お待ちしております。

岩手県まで桐たんすのお届けでした。

岩手県は晴れ。  台風一過でした。

昨晩の新潟県は夜に台風21号が通り、ものすごい風と雨でした。干してある板が飛ばないかが心配で、見回ってから帰宅したのですが、まだ、現状は把握出来ないです。

そんな中、今日は岩手県宮古市まで桐たんすのお届けに行ってきました。昨日の時点で、台風の影響が心配され、お客様から「いつでもいいわよ」とお電話を頂いておりましたが、予報を細かく見て、明日は晴れると判断し、今日のお届けを決行させていただきました。

起床は午前4時。
夜の強風の影響でほとんど寝られず、朝を迎えました。

弟と工場で待ち合わせし、4時半過ぎに出発。一路、岩手県に向け磐越道から東北道をひた走ります。岩手県へは20年ほど前に一回、配達に行ってことがあり、それ以来、ホントご無沙汰。

盛岡南インターまでは、所々雨に遭いましたが、スムーズに行け、そこから国道106号線をひたすら2時間ほど走ります。まだまだ復興中のた目のダンプが多いです。

予定よりも幾分早く、11時前にお客様のご自宅に到着し、和室に別注の和たんすをお届けさせていただきました。K様、本当にありがとうございました。

その後は、お茶とお菓子を頂き、大震災のお話を聞き、ご自宅を後にしました。帰りも至ってスムーズに、午後6時過ぎには工場に到着でした。

お求めいただくまでに、何度もお電話をいただき、お話させて得いただきました、今回のお客様。
やはり、高価なものですので、その気持ちは分かります。なので、直接お会いし、お届けさせていただくことで、その不安も少しはなくなると思っています。K様、本当にありがとうございます。

桐たんすを仕上げる   「桐を焼く」

曇り   台風が近づいています。風が強いです。

今回は桐を焼いて仕上げる「焼き仕上げ」。

桐たんすの仕上げ方法(塗装)にはいくつかあって、伝統的な「との粉」仕上げが一般的ですが、その他、桐を焼いて仕上げる「焼き仕上げ」や、焼き仕上げの中でも、焼いてからとの粉を塗り込んでいく「時代仕上げ」

そして、最近では植物オイルを主成分とした「天然オイル」仕上げなど、桐たんすの仕上げ(塗装)も、様々なやり方が生まれ、お客様のお好みに応じて提案できるようになって来ました。

今回の「焼き仕上げ」は、桐の蔵でもよく行う、桐を焼いてすすを落とし、その後、桐たんす用のロウを塗り込んで仕上げる、至ってシンプルな焼き仕上げ。

焼いてすすを落とすときに使う、「うづくり」が木目をしっかりと浮き立たせ、こげ茶色の地色と相まって、和風なのにどこか洋風さも感じられる仕上げになります。

桐は火事になっても、表面は焦げるのですが、焼き切るまでに時間がかかるという桐の特性を活かした仕上げ方法です。

そんな焼き桐仕上げですが、焼いている最中は細心の注意が必要です。うっかりするとすぐに火がついて、そこが焦げてしまいます。

私も「あ~~って!」何度も焦がした経験があり、そこから生み出した出来るだけ焦げない方法もあります。

職人って、そんな試行錯誤しながら技術を会得していくんですよね。

桐たんすを作る道具たち 「胴付鋸」(どうづきのこぎり)

曇のち晴れ。  台風前のフェーン現象でしょうか。

今回の道具は「胴付鋸」

桐たんす職人は、普通の鋸はあまり使いません。
普通、鋸と言えば、両方に刃が付いているものを鋸と呼ぶのですが、桐たんす職人が使う鋸は、片方に刃が付いているものがほとんど。その中で、今回は「胴付」と呼ぶ、鋸を紹介します。

私がまだ、和歌山での修行時代。
親方に、「胴付取って!」と言われ、?だったことを思い出します。

その時は、何で「胴付」なんだろうって思ったのですが、後になって何となく分かりました。

胴付鋸って、刃が付いている反対側に背金が付いているんですよね。
これがあるお陰で、ノコが曲がらないように正確に真っ直ぐに切れるようになってるのです。

多分、この背金の事を胴付の「胴」と呼んだのではないかと思います。
胴付鋸は細かい作業の時に主に使うのですが、私も修行時代、真っ直ぐに切れなくて、よく怒られました。

「ほら、見てみろ、曲がってる」と。

そんな事で、「胴付鋸」って言うと、修行時代を思い出してしまします。