名職人・逝く

   雪。  まだ、降るのか・・・。

このブログは、書こうか、どうしようか、とても考えました。
桐の蔵の職人さんのことであり、悲しいことでしたので、悩みましたが、
記憶だけに留めず、記録にも残しておいた方がいいかなと・・・。

今週、日曜日早朝、東京・日本橋での展示会の最終日でしたので、
まだ、ホテルの部屋で就寝中でした。

着信は見慣れない携帯番号。
ちょっとびっくりしたので、一度出たのですが、そのまま切ってしまいました。
その後、弟から電話があり、小池さんが亡くなったと・・・。
小池さんとは、桐の蔵の大切な職人。
伝統工芸士の称号を持つ、腕利きの大切な職人さんでした。

ちょうど、一年前の2月に、目の上のあたりが何か変だと、近くの病院へ行き、
MRIを撮ったら、大きな病院へ行った方が良いと言われたといいます。

その後、その病院から大学病院を紹介され、大学病院を受診。
その後は、しばらく様子を見ていた日々が続いたのですが、
検査日に診察を受けたら、即入院。
6月に手術を前倒しして行い、その時は大事には至らなかったのです。

その後は、放射線治療などでリハビリを続け、本人も、一日でも早い、
会社への復帰を願っていましたし、度々、奥さんと一緒に会社に顔を出してくれて、
元気な姿を見せてくれていました。

それが12月に入り、急激に体調が悪化し、歩くことが出来なくなり、
食事も出来ず、お見舞いに行っても、分からないほどでした。

その後は、緩和病院へ移り、2月21日早朝。
家族に看取られ、天国へ召されました。
享年60歳。

思い起こせば、桐の蔵で働いていただいた13年間。
たくさんのいろいろな事が思い出されます。

良いことも、良くなかったこともあったと思います。
しかし、一切の愚痴も言わず、怒ったことなど見たこともない、
穏やかで、真面目な小池さんでした。

職人としての最大の仕事は、数年前に京都の、ある有名なお寺へ納めさせて
いただきました、収納たんすだったと、奥様が話してくれました。

それは、それは、本当に大変だった仕事で、ミリ単位の指示、畳三畳ほどの大きさ
細かな細工、どれをとっても、本当に気が狂いそうな仕事でした。
それを小池さんは作り上げ、私が京都までお届けしたのでした。

本当にたくさんの思い出がありますが、ただ、今は、ゆっくりと
休んで下さいと言いたいです。

小池さん、本当にありがとうございました。
合掌

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