桐たんす屋として・・・。

     晴れ。   でも、雨も雪も降ったような・・・。

実は、ここ最近、桐の蔵への取材が相次いでいる。
数週間前は、「婦人画報」社から電話があり、桐の蔵の
桐チェストシリーズの取材をさせていただきたいとの事。

突然の電話だったのですが、何とかなるかな?と思い、
取材を引き受け、昨日、発行の「婦人画報」3月号に
少しだけ、弊社の桐チェストブラックシリーズが紹介されました。

そして今日は、数週間前からお問い合わせがあり、
桐の蔵の工場と、再生たんすの現場を取材したいとの事で
東京の大手出版社から電話があり、取材スタッフの方々が
わざわざ、東京からお越しいただきました。

実はこの取材、世界のトヨタの高級車「レクサス」のオーナー向けに
配布される「レクサスマガジン」という情報誌の取材なのですが
この取材が改めて、私の桐たんす屋としての方向性というか、
原点を見つめ直してくれた取材でした。

今回は、出版社のプロデューサと、カメラマン、そしてライターの
方々が来社。
私は、常に質問漬けで、加茂きりたんすの歴史から、
桐の蔵の歴史、そして、ここに行き着いた経緯まで
聞かれるのです。

そうすると、今までに行ってきた商品開発や苦労話し、
新たな販売方法や、こつこつやってきたことなどを
何気なく話したのですが、それが、なぜか、受け入れられ
「そうですか、苦労されたのですね」とか、
「すごいですね」とか、
お世辞半分にしても、感心される。

でも、その当時のことを思い出すと、そんな事は微塵もなく
ただ、ただ、明日の仕事をこなすだけで一生懸命だった自分が
いたことや、今だから、こうして冷静に話せるが、その当時は、
余裕なんてなく、ただただ、突っ走っていた事しか記憶にないのです。

それがあって、今があるのですが、当時は、今後、
どうなるのかも分からなく、必死に目の前の仕事を
やり続けていくしかなかったのです。

取材って、その当時の事を思い出させてくれますが、
ホント、今思い出すと、よくやってこれたな。という
感想しかないですね。

一つだけ言えるとすれば、本当にいいお客様との出会いと
ご縁があったというだけです。
これなくしては、今の桐の蔵は無かったと言っても
過言ではないでしょう。

桐たんす屋の三代目として、後を継いで、もう、22年が経ちました。
その間の苦労なんて、苦労とは思っていませんし、苦労なんて
まだ、ないと思っています。

確かに辛かった事はいくつかありましたが、それも、
喉もと過ぎれば・・・。なのです。

今回、2つの取材を通して、私たちの仕事は、かなりの方々から
評価されている仕事なのだと、知りました。

生まれて物心ついてから、常に見て、触れてきた桐たんす屋という
生業が、実は、傍から見れば、素晴らしい仕事だということを
今日、改めて、気づかされた気分です。

自信を持って、堂々と、胸を張っていいんですね。
自分の仕事に自信を持って行こうと、今日は、
そんな風に思えた、一日でした。

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