2006年 1月 の投稿一覧

機械には弱い

月末は、工場内の機械の刃物を交換する日と決めてある。
ほとんどが手仕事の桐たんすづくりも、最低限の機械は使う。
「自動」と呼ぶ粗削りをしてくれる機械や、「手押し」と呼ぶ、板を合わせるときに
使う機械など、機械と言えばそんなものなのだが、一月間、ずっと使っていると
当然ながら刃物は切れなくなってくる。
そうすると、刃物を研磨に出して新しい刃物に交換するのだ。
それが、桐の蔵では機械にもよるが、一月に一回の割合でおこなっているのだ。
この刃物交換。私は苦手・・・
和歌山にいた時の修行時代からやっているが、その頃は、結構、新しい機械が
多かったので、刃物の交換も、それなりの道具があって、スムーズに出来た。
しかし桐の蔵の機械は、ほとんどと言っていいほど古い。
それも、半端ではなく古いのだ。
1台の自動なんか、私が生まれる前からある。
小さい頃のからの遊び道具だった。
ハンドルを回して遊んでた記憶は、自分でもはっきりあるくらいだから・・・
そんな機械の刃物の交換なんて、ほとんど勘みたいなもの。
刃の出具合なんて、手で触って確かめて、ちょっと出てるかな?なんて具合。
まあ、この段階では精度は要求されないのでそれでも良いが、
精度が必要な場合は、この機械は使えない。
でも、ホントよく持つ機械だ。
結局、数時間で、4台の機械の刃物を交換した。
でも、刃物交換のような細かい作業は弟が得意。
ちょっとやっただけで、すぐに完璧に交換してしまう。
昔から、ラジコンなんて組み立てるの上手かったから。
弟の作業日記の話題は今日はこれかな?
まだ読んでないのでわかりませんが・・・
誰にも、得意、不得意があるからいいんだけど・・・
でも、ホント、昔の木工機械ってこわれないんだな。

マスコミの影響力

今年初めての地元での展示会が昨日終了した。
お陰様で、本当に多くのお客様にお出かけいただきまして
ありがとうございました。
この場をお借りして、御礼申し上げます。
今までに、新聞、雑誌、テレビなど、幾多のマスコミの取材を受けてきて
その影響力はすごいものだと実感していました。
今回も、地元紙の新潟日報に大々的に取り上げられたのをきっかけに、
初日には、新潟総合テレビが取材に訪れ、そしてFM新潟にも流れたという・・・
事前に見ることが出来た、新聞の新潟日報の記事は読ませていただいたが
テレビとラジオは全く、どんな感じなのか分からなかった。
でも、そのマスコミのお陰もあって、初日から本当に多くの方々に
お出かけいただいた。
私と、弟の2人での接客なのだが、全くお話しが出来なかったお客様も
おられ、せっかくお出かけいただいたにもかかわらず、申し訳ありませんでした。
今回は、2日間の展示会中に3回もお出かけいただいたK様。
そして、以前にお求めいただいてとても良かったのでと、また改めて御注文を
頂いたs様を始め、多くの方々のご縁がありました。
この時期としては、まずまずの天候も味方してくれ、楽しい展示会でした。
改めて、マスコミの影響力に驚くと共に、その反面、常に良いものづくりを
していかなければならないというプレッシャーを感じております。
本当に、ありがとうございました。

初めての体験

昨日、長男いさみのサッカーの練習のお迎えに、仕事を途中で止めて
直行した。
サッカーを終え、車に乗ったら「ぼく、今日、手切った・・・と」
えっ、大丈夫?って聞いたら、手を見せてくれた。
絆創膏が貼ってあって傷口は見得なかったが、後でお風呂に入って見せてもらったら
パックリ割れていた。
学校で図工の時間に、初めて版画をやっていて彫刻刀で、ブスっていたらしい。
たんす屋さんの子供が彫刻刀で手を切るなんて・・・
なんて、言ってしまったが、刃物の使い方なんて教えていなかったし
刃物さえも持たせた記憶もないくらい。
私達の子供の頃も、鉛筆をカッターで削って、なんて事はあまりしなかったし
今の時代は、尚のこと、経験も少ない。
今でこそ、「刃物の前には手を持っていかない」
なんて、職人として当然の事を言えるが、私もノミで手を切ったりなどは
ちょくちょくある。
だから、手を切らずに上手く出来るよりも、手を切って、その痛さを感じて
どうしたら切らなくて済むか。を体で覚えた方が良かったと思う。
今回の件は、痛いとは思うがとっても良い経験だった。
またまた、NHKの番組「プロフェッショナル」の話になるが、先回の火曜日の
特集だったパティシェが言っていた言葉は、思わずメモってしまった。
「最初から簡単にできてしまうと、その後、努力をしなくなる」(杉野さんだったと思う)
もう、名言だ。(今の私にとって)
現場で通してきた人だから言える、ホント、名言だと思う。
初めてやる事って、不安だし、失敗もある。
でも、それが出来ると次ぎに進めるし、また一つ成長する。
こどもの彫刻刀の使い方も、大人の仕事も同じだ。
明日からは、新潟市内での展示会。
失敗あるだろうが、長い目で見て、成長できればと思っている。

新聞社からの取材

24日の火曜日だっただろうか、新潟県内の新聞社、新潟日報社から
電話があり、取材を受けた。
以前は、何度か桐たんすの再生事業や、桐チェストシリーズなどで取材を
受けたことがあったが、ここ最近はご無沙汰していた。
今回は、キリモニシリーズ(桐チェスト)の新作が、今日の新潟日報の
経済面にでかでかと紹介された。
(後日、桐の蔵作業日記で新聞を写真で紹介します)
この作品は、お客様との会話から実現したもの。
普通、引出しには取手金具がつくが、そのお客様はそれがイヤだった。
でも、私達のデザインを気に入ってくれていた。
で、取手金具を付けずに引出が引けて、デザインも損なわず、シンプルに・・・などなど
そこで完成したのが、この作品。
もうすでに、各地の展示会ではお目見えしているので、見ていただいた方も
多いと思う。
この作品、発表と同時にかなり多くのお客様にお求めいただくことができた。
それも、展示品と同じではなく、各々、ご自分の好みのスタイルでご注文いただく
ことが多い。
これってとっても良いことだと思う。
だって、世界に一つだけの自分仕様の桐チェストだから・・・
今週末は、今年最初の地元、新潟市内での展示会。
この作品の他に、新たな新作が、2種類お目見えします。
どうぞ、お時間を作ってお出かけ下さいませ。

工場は遊び場

最近、またまた帰りが遅いのでお昼休みにブログ。
ここ数日、母が工場へ来る手段がかみさんの車になっている。
いつもは父と一緒にくるのだが、風邪のためにそうなってしまた。
そうなると、2歳の次男たくみ君も一緒に来ることになる。
さすがに最初は、どこにきたんだろう?という感じだったが、
いつも同じ場所に連れてこられるので、やっと慣れてきたらしい。
そうなると男の子。
工場に落ちている木の端や、かんなくずで遊び出す。
これって、子供の本能。   
私の頃は、自宅の前が工場だったので、それこそ飽きるまでこうやって
遊んでいたのを思い出す。
使っていない機械のハンドルや、コンプレッサーの勢いよく出る空気は
いつまで遊んでいても飽きることはなかったし、おが屑は、夏に採ってくるカブトムシ
の家として土の替わりに使っていた。
職人さんにも遊んでもらったし、なんと言っても、自宅の前が工場なので
いつも家族が周りにいた。
でも、今は工場と自宅は車で10分くらいの距離なので、
子供達にとっては、時々来るお父さんの工場という感じかも知れない・・・
昔は良かったなんて言うつもりはないが、ほのぼのしていたのは確かだと思う。
特に、職人さんの世界は。
でも子供達って、いつの時代も変わらない。
いつまでも、こんな純粋な気持ちでいられるといいのに・・・

雪国のサッカー

週末は、長男いさみのサッカーの試合で2日間取られてしまった。
雪のない都会と違って、新潟のグランドは雪でいっぱい。
この調子だと、解けるのは3月の後半くらいかも知れない勢いで積もっています。
だから新潟の冬は体育館でサッカー(フットサル)
これって場所が狭いから、目まぐるしくプレーが替わる。
ボールも早い。
運動不足の私などは付いていけないくらいだ。
先日も、休みの日によせばいいのに、体育館で練習。
走ってボールを蹴ったら、膝をひねってしまった。
イメージと頭は、付いていけるし出来るのに、体は全く言うことを聞かない。
まだ37歳なのに・・・
4年生のスピードに付いていけないとは、何とも情けなくなったが
現実。
雪が消えたら、本格的に体を動かしたほうがいい。
まだ、まだ運動できる年齢ですから。

修業時代を思い出す。

昨日、親方に代わって柾組の仕事(大まかに言えば引出しや扉の部分の柾目を作る)を
やっていた時だった。
柾割り機という原始的な機械で、柾目の部分を作っていたら、ふと、修業時代も同じ事を
していたなと、ふいにを思い出してしまった。
私の修業時代は、高校を卒業して和歌山県にある桐たんすメーカーへ行った。
創業者、桑原松太郎さんの遺言で、本来は広島県に行くはずだったが、紹介していただいた
方の都合もあり、和歌山県になった。
その修業先でも、最初の仕事が、その柾割り機に柾を通して、柾を作っていく仕事だった。
その仕事は丸2年続けたので、久しぶりにやったという実感で、思わず修業時代に返ってしまった。
今、思い出しても過酷な修行時代だったような気がする。
仕事面ではなく、生活面で・・・
寝泊まりする場所は、倉庫の二階。
一階は、材料とたんすの倉庫。
その二階には六畳が二部屋と、5畳くらいの居間。
各部屋には、二段ベットが一台ずつ。
電気と水道のみ。ガスはない。
トイレはあったが、お風呂は社長の家にもらいにいく。
なんと言っても、食事が大変だった。
朝は、自分でパンでも買って食べ、お昼は会社で給食のお弁当。
そして、夜もお昼と同じ給食のお弁当が届く。
それを、仕事が終わったら食べる。
そんな生活が二年間続いた・・・
当然、体の調子はおかしく内科で検査。
結果は、栄養のが偏ってるだったかな、でも当時、慎重が165cm,
体重は38kgだった。
急遽、父が新潟からやって来たし・・・
結局、その後、退社して今の工房を継いだ。
でも、修業時代にはその工場の職人さんいは本当にお世話になった。
たくさんの事を教えてもらったし、お酒も覚えた。
使う材料や、作る形、仕上げ方法は、新潟とは違うが、いろんな面で
勉強になった。
休みの日には、大阪や神戸、京都にも遊びに行った。
だから、今でも関西は懐かしい。
昔から、「かわいい子には旅をさせろ」と言うが、世間に出る事って
大事だと思う。
いろんな仕事に就いたり、いろんな人に出会ったり、それがその後の糧に
なったり、後々、活きてくることもあったりする。
二年間という短い期間ではあったが、行って良かったと思う。
ふと、そんなことを仕事中に思い出してしまった。

味は濃いめ。

今年に入ってから、今までかみさんに作ってもらっていたお弁当から、
給食のお弁当に代わった。
理由は、給食のお弁当が少なすぎて、持ってきてもらうのが申し訳ないからとか・・・
職人さん達は、みんなが手作りのお弁当持参。
給食のお弁当は、親方と弟の2人だけ。
だから、おまえもどう?とずっと言われていた。
かみさんに言ったら、即、OK。
そりゃ、そうだ。
毎朝のお弁当づくりは、もうやだ!とずっと前から言われていたから。
2歳になる次男が、朝はぐずって、なかなかお弁当づくりが進まないのだ。
見ていた時の給食のお弁当は、今では実際に食べる方に。
最初は、しょっぱく感じた味も、今では慣れっこに。
濃い味が好きな親方は、それでも薄いといい、醤油をかけながら食べている。
お値段は、コンビニのお弁当に比べればはるかに安い。
それも、けっこうなボリューム。
お腹いっぱいになる。
でも、手作りのお弁当が良かったと思うのだが・・・
お昼ご飯って、お腹がすいていて、けっこう楽しみでもあるんだけど、
今となっては、それも感じなくなってしまった。
小学校へ行く子供達は、今日はカレーだった!などと、それこそ楽しみなんだろうけど。
お腹もいっぱいになって、午後からもバリバリがんばろう!
でも、お昼に食べたものと一緒のものが、夜にも出たりして・・・

小児心臓外科

昨日、帰ってお風呂から上がったらNHKの新番組「プロフェショナル」
が映っていた。
プロジェクトXの後の番組で、何だか似ている。
お酒を飲みながらついつい見入ってしまう。
初回の特集は「小児心臓外科医」
山口県の医科大学で腕を振るう名医にスポットを当てた特集だ。
桑原家は、この「小児心臓外科」に弱い。
というのも、長男のいさみ君が、生まれたての一ヶ月検診で心雑音が見つかったのだ。
その後、新潟市の大きな病院を紹介され、結果は、心臓に穴が空いているとのこと。
病名は「ドウミャクカンカイゾン」(ごめん、漢字分かりません)
大きくなるにつれて塞がる人もいるとのことで、毎月の診察で様子を見ていたが
「成長が遅い」とのことで、一歳半の時に、手術に踏み切った。
まずは、カテーテルといい体内に管を通して状態を見ることで入院。
その後、そのお医者さんの紹介で、別の病院に移り、手術を行った。
いさみの手術を担当してくれたお医者さんは、県内では小児心臓外科の名医だった。
他の病院からも、その名医のもとに小さな子供達がやって来ていた。
昨日初めて知ったが、生まれたばかりの子供の心臓はピンポン玉よりも小さい。
その心臓を人間の手で手術するのだ。
まさに、神の手である。
かみさんと2人で見ていたが、その頃の記憶がフィードバックして
人ごとではない気持ちで番組を見させてもらった。
お陰様で、いさみは今ではサッカーに没頭するサッカー少年になって元気で
走り回っている。
今でも、毎年の定期検診は欠かせないが、背中にあるメスの跡以外は、その面影は全くない。
つい数年前、あるところで偶然に執刀していただいたM先生にバッタリと会ったが
覚えていてくれた。
この先生には、本当に感謝である。
NHKの番組「プロフェショナル」
次回は、パティシェの特集だそう。
次回もおもしろそうです。

午後9時には帰りたい。

「十分早いじゃないか」
と、お勤めの方々には言われそうだが、職人さんの終業の時間はだいたい午後5時くらい。
桐の蔵では午後5時10分にベルが鳴って、20分には職人さんは誰もいない。
桐の蔵では、昔からずっとそう。
ただし、ここからが私の仕事が増えてくる。
当然、就業時間中は木取りをしたり、板を組んだりの現場の仕事を
山のようにこなさなければならない。
みんなが帰った5時過ぎくらいから、資料請求の発送や、展示会の準備、
または、出来上がっている桐たんすや、桐チェストの最終点検と梱包など、
の仕事をしていると、あっという間に午後の9時になってしまう。
なぜ、午後9時までに帰りたいのかと言えば、その時間は子供達が寝る時間なのだ。
桑原家では、午後9時が就寝の時間。とかみさんが決めている。
小学校1年生の次女から4年生の長男までみんながそう。
だから、この時間までに帰らないと、子供達との会話がほとんど出来ない。
朝は、寝ている時間に出てくるし、話せても3分もない。
今月から、展示会も始まるので、益々、話せる時間がなくなってくる。
「そのうち子供は親の所に来なくなるよ」と皆さんから言われるので、
寄ってくる時期は、せめて、十分に話をしたいものである。
でも、都会にお勤めの方々は帰りが深夜、出ていくのが早朝。
通勤時間は2時間。
そんな現状の方々も多いので、まだまだ、私は恵まれていると思う。
そんなんで、ここ数日、ブログの更新もなしでした。
ただ今、自宅にもインターネット環境を準備中。
かみさんもブログやりたいって言ってるし・・・