2006年1月31日

機械には弱い

月末は、工場内の機械の刃物を交換する日と決めてある。
ほとんどが手仕事の桐たんすづくりも、最低限の機械は使う。

「自動」と呼ぶ粗削りをしてくれる機械や、「手押し」と呼ぶ、板を合わせるときに
使う機械など、機械と言えばそんなものなのだが、一月間、ずっと使っていると
当然ながら刃物は切れなくなってくる。

そうすると、刃物を研磨に出して新しい刃物に交換するのだ。
それが、桐の蔵では機械にもよるが、一月に一回の割合でおこなっているのだ。

この刃物交換。私は苦手・・・

和歌山にいた時の修行時代からやっているが、その頃は、結構、新しい機械が
多かったので、刃物の交換も、それなりの道具があって、スムーズに出来た。

しかし桐の蔵の機械は、ほとんどと言っていいほど古い。
それも、半端ではなく古いのだ。

1台の自動なんか、私が生まれる前からある。
小さい頃のからの遊び道具だった。
ハンドルを回して遊んでた記憶は、自分でもはっきりあるくらいだから・・・

そんな機械の刃物の交換なんて、ほとんど勘みたいなもの。
刃の出具合なんて、手で触って確かめて、ちょっと出てるかな?なんて具合。
まあ、この段階では精度は要求されないのでそれでも良いが、
精度が必要な場合は、この機械は使えない。

でも、ホントよく持つ機械だ。

結局、数時間で、4台の機械の刃物を交換した。
でも、刃物交換のような細かい作業は弟が得意。

ちょっとやっただけで、すぐに完璧に交換してしまう。
昔から、ラジコンなんて組み立てるの上手かったから。

弟の作業日記の話題は今日はこれかな?
まだ読んでないのでわかりませんが・・・

誰にも、得意、不得意があるからいいんだけど・・・
でも、ホント、昔の木工機械ってこわれないんだな。

2006年1月30日

マスコミの影響力

今年初めての地元での展示会が昨日終了した。
お陰様で、本当に多くのお客様にお出かけいただきまして
ありがとうございました。
この場をお借りして、御礼申し上げます。

今までに、新聞、雑誌、テレビなど、幾多のマスコミの取材を受けてきて
その影響力はすごいものだと実感していました。

今回も、地元紙の新潟日報に大々的に取り上げられたのをきっかけに、
初日には、新潟総合テレビが取材に訪れ、そしてFM新潟にも流れたという・・・

事前に見ることが出来た、新聞の新潟日報の記事は読ませていただいたが
テレビとラジオは全く、どんな感じなのか分からなかった。

でも、そのマスコミのお陰もあって、初日から本当に多くの方々に
お出かけいただいた。

私と、弟の2人での接客なのだが、全くお話しが出来なかったお客様も
おられ、せっかくお出かけいただいたにもかかわらず、申し訳ありませんでした。

今回は、2日間の展示会中に3回もお出かけいただいたK様。
そして、以前にお求めいただいてとても良かったのでと、また改めて御注文を
頂いたs様を始め、多くの方々のご縁がありました。

この時期としては、まずまずの天候も味方してくれ、楽しい展示会でした。

改めて、マスコミの影響力に驚くと共に、その反面、常に良いものづくりを
していかなければならないというプレッシャーを感じております。

本当に、ありがとうございました。

2006年1月26日

新聞社からの取材

24日の火曜日だっただろうか、新潟県内の新聞社、新潟日報社から
電話があり、取材を受けた。

以前は、何度か桐たんすの再生事業や、桐チェストシリーズなどで取材を
受けたことがあったが、ここ最近はご無沙汰していた。

今回は、キリモニシリーズ(桐チェスト)の新作が、今日の新潟日報の
経済面にでかでかと紹介された。
(後日、桐の蔵作業日記で新聞を写真で紹介します)

この作品は、お客様との会話から実現したもの。
普通、引出しには取手金具がつくが、そのお客様はそれがイヤだった。
でも、私達のデザインを気に入ってくれていた。

で、取手金具を付けずに引出が引けて、デザインも損なわず、シンプルに・・・などなど

そこで完成したのが、この作品。
もうすでに、各地の展示会ではお目見えしているので、見ていただいた方も
多いと思う。

この作品、発表と同時にかなり多くのお客様にお求めいただくことができた。
それも、展示品と同じではなく、各々、ご自分の好みのスタイルでご注文いただく
ことが多い。

これってとっても良いことだと思う。
だって、世界に一つだけの自分仕様の桐チェストだから・・・

今週末は、今年最初の地元、新潟市内での展示会。
この作品の他に、新たな新作が、2種類お目見えします。

どうぞ、お時間を作ってお出かけ下さいませ。

2006年1月25日

工場は遊び場

最近、またまた帰りが遅いのでお昼休みにブログ。

ここ数日、母が工場へ来る手段がかみさんの車になっている。
いつもは父と一緒にくるのだが、風邪のためにそうなってしまた。

そうなると、2歳の次男たくみ君も一緒に来ることになる。
さすがに最初は、どこにきたんだろう?という感じだったが、
いつも同じ場所に連れてこられるので、やっと慣れてきたらしい。

そうなると男の子。
工場に落ちている木の端や、かんなくずで遊び出す。
これって、子供の本能。   

私の頃は、自宅の前が工場だったので、それこそ飽きるまでこうやって
遊んでいたのを思い出す。

使っていない機械のハンドルや、コンプレッサーの勢いよく出る空気は
いつまで遊んでいても飽きることはなかったし、おが屑は、夏に採ってくるカブトムシ
の家として土の替わりに使っていた。

職人さんにも遊んでもらったし、なんと言っても、自宅の前が工場なので
いつも家族が周りにいた。

でも、今は工場と自宅は車で10分くらいの距離なので、
子供達にとっては、時々来るお父さんの工場という感じかも知れない・・・

昔は良かったなんて言うつもりはないが、ほのぼのしていたのは確かだと思う。
特に、職人さんの世界は。

でも子供達って、いつの時代も変わらない。
いつまでも、こんな純粋な気持ちでいられるといいのに・・・

2006年1月20日

修業時代を思い出す。

昨日、親方に代わって柾組の仕事(大まかに言えば引出しや扉の部分の柾目を作る)を
やっていた時だった。

柾割り機という原始的な機械で、柾目の部分を作っていたら、ふと、修業時代も同じ事を
していたなと、ふいにを思い出してしまった。

私の修業時代は、高校を卒業して和歌山県にある桐たんすメーカーへ行った。
創業者、桑原松太郎さんの遺言で、本来は広島県に行くはずだったが、紹介していただいた
方の都合もあり、和歌山県になった。

その修業先でも、最初の仕事が、その柾割り機に柾を通して、柾を作っていく仕事だった。
その仕事は丸2年続けたので、久しぶりにやったという実感で、思わず修業時代に返ってしまった。

今、思い出しても過酷な修行時代だったような気がする。
仕事面ではなく、生活面で・・・

寝泊まりする場所は、倉庫の二階。
一階は、材料とたんすの倉庫。
その二階には六畳が二部屋と、5畳くらいの居間。

各部屋には、二段ベットが一台ずつ。
電気と水道のみ。ガスはない。
トイレはあったが、お風呂は社長の家にもらいにいく。

なんと言っても、食事が大変だった。
朝は、自分でパンでも買って食べ、お昼は会社で給食のお弁当。
そして、夜もお昼と同じ給食のお弁当が届く。
それを、仕事が終わったら食べる。

そんな生活が二年間続いた・・・

当然、体の調子はおかしく内科で検査。
結果は、栄養のが偏ってるだったかな、でも当時、慎重が165cm,
体重は38kgだった。

急遽、父が新潟からやって来たし・・・

結局、その後、退社して今の工房を継いだ。
でも、修業時代にはその工場の職人さんいは本当にお世話になった。
たくさんの事を教えてもらったし、お酒も覚えた。

使う材料や、作る形、仕上げ方法は、新潟とは違うが、いろんな面で
勉強になった。

休みの日には、大阪や神戸、京都にも遊びに行った。
だから、今でも関西は懐かしい。

昔から、「かわいい子には旅をさせろ」と言うが、世間に出る事って
大事だと思う。
いろんな仕事に就いたり、いろんな人に出会ったり、それがその後の糧に
なったり、後々、活きてくることもあったりする。

二年間という短い期間ではあったが、行って良かったと思う。

ふと、そんなことを仕事中に思い出してしまった。

2006年1月17日

午後9時には帰りたい。

「十分早いじゃないか」

と、お勤めの方々には言われそうだが、職人さんの終業の時間はだいたい午後5時くらい。

桐の蔵では午後5時10分にベルが鳴って、20分には職人さんは誰もいない。
桐の蔵では、昔からずっとそう。

ただし、ここからが私の仕事が増えてくる。

当然、就業時間中は木取りをしたり、板を組んだりの現場の仕事を
山のようにこなさなければならない。

みんなが帰った5時過ぎくらいから、資料請求の発送や、展示会の準備、
または、出来上がっている桐たんすや、桐チェストの最終点検と梱包など、
の仕事をしていると、あっという間に午後の9時になってしまう。

なぜ、午後9時までに帰りたいのかと言えば、その時間は子供達が寝る時間なのだ。
桑原家では、午後9時が就寝の時間。とかみさんが決めている。

小学校1年生の次女から4年生の長男までみんながそう。
だから、この時間までに帰らないと、子供達との会話がほとんど出来ない。

朝は、寝ている時間に出てくるし、話せても3分もない。
今月から、展示会も始まるので、益々、話せる時間がなくなってくる。

「そのうち子供は親の所に来なくなるよ」と皆さんから言われるので、
寄ってくる時期は、せめて、十分に話をしたいものである。

でも、都会にお勤めの方々は帰りが深夜、出ていくのが早朝。
通勤時間は2時間。
そんな現状の方々も多いので、まだまだ、私は恵まれていると思う。

そんなんで、ここ数日、ブログの更新もなしでした。
ただ今、自宅にもインターネット環境を準備中。

かみさんもブログやりたいって言ってるし・・・

2006年1月11日

良材を使う。

年明けから注文が入った、桐たんすと桐チェストの木取りをしている。

木取りとは、そのたんすのサイズに合った板を切り、寸法を合わしながら
各パーツを作っていく。大まかに言えばそういう作業だ。

だから、この板はこのたんすのここに使おうとか、この木目はこの部分に使った方が
いいとか、その人のセンスが出てくる。

はっきり言えば、この段階で見た目の美しいたんすかどうかが決まると言っても
過言ではない。

1月5日の仕事始めの日からかなりの板を切った。
段々と、板がなくなっていく様子を目の当たりにしていると、次の材料も準備しなくては
と心なしか思ってします。

まだまだ、倉庫には使われるのを待っている材料がたくさんあるので
心配はないのだが、職人として、つい、気になってしまうのは、癖のようです。

和たんすに用いる衣装盆(きものをしまっておく浅い盆)の丸盆の材料を切っている時は、
さすがにどんどんと、柾目の良材が減っていくのには参った。

丸盆とは、丸く加工された手間の掛かる作りの衣装盆なのだが、その材料は全て柾目で
統一されていて、材料の面から言っても贅沢な作りのものなのです。

でも高価なお着物をしまっておくものですから、このくらいは当然かも知れません。

今では雪にすっぽりと覆われている新潟県十日町産の桐。
この町は、「きもの」の生産で有名なまちです。

「きもの」の町で育った桐を使って作る桐たんす。
そんなところにも、桐の蔵のこだわりがあるのかも知れません。

2006年1月 6日

疲れた体に。

今年の冬の雪は新聞によると史上、最も多いらしい。
スキー場では雪崩が起き、閉鎖に追い込まれるスキー場もあるという。
それくらい降っている。

昨年末に、富山県からお出かけいただける予定のお客様も、
この大雪で、来県をストップした。

その頃は凄まじいほどの降り方で、来ていただいても恐らく、
帰れなかったのではないかと思う。

朝晩の道路は、ツルツル。
お正月明けの、3日。
土手沿いの道路には、スリップして落ちたと思われる車が、
数えただけでも、5台以上は土手から落ちていた。

それを見ると、私も昔、桐たんすを積んだトラックで土手から落ちた経験が
あるので人ごととは思えない(泣き)

雪国での車の運転は本当に神経を遣うので、倍は疲れる。
この冬、こちらへお出かけの際は本当に気をつけて下さい。

お正月明けからお休みモードを返上して、本気モードで仕事ですが、
やはり、数日休んでお酒づけになった体は疲れやすい。

明日は七草。
疲れた体と、疲れた胃に、やさしい七草でも食べて
元気を取り戻そう。

2006年1月 5日

始終ご縁がありますように。

明けましておめでとうございます。
皆さんはどんなお正月を過ごしたでしょうか。

元日の新潟はとても良い天気に恵まれたので、家族で神社へ初詣にお出かけ。
お賽銭は、始終ご縁の45円。

でも、子供達には10円を上げてしまった・・・
10円は遠縁なんだって。(ショック!初めて知りました)

今日から桐の蔵は仕事始め。
でも、昨日も駐車場の雪かきやら、何やらで一日工房で過ごす。

雪国は、朝の雪かきが一仕事。
いつもよりも早起きして、みんなが来るまでに雪を除けておかなければ
ならないので、けっこうプレッシャー。

仕事中は、雪かきなんてしてると怒られそうなので、
始業のベルが鳴ると、即、仕事。

この辺は、まだ屋根の雪を降ろさなくても平気なので助かる。
去年は、工房の屋根の雪を降ろしたので、そうなるともっと大変。

県内の大雪の地方では、雪下ろしの人手が全く足りないと言う。
桐の蔵も別の意味で今、ちょっと人手不足・・・

でも今年は良いスタートがきれました。
今年も一年、宜しくお願い致します。