4年前の記憶。

    晴れ。    霜はまだ降りません。

4年前の今日、午後5時56分。
新潟県にとっては忘れることのできない、「中越地震」が
起きたのでした。

その時、私たちは、京都での展示会の初日を終え、
京都の業者さんと、夕食を共にしていた矢先だった。

京都でも高層階のホテルで夕食がはじまったばかりなのに
体が揺れているのが、京都でも感じた。
その後、私の携帯に、仙台に住む姉から、「新潟が大変です!」
との電話を受けた。

それを受けて親方の家に電話するのですが繋がらず、
すぐに公衆電話に走ったことも。
そして、弟にも伝え、それからは、京都の業者さんには
悪かったが、食事どころではなかった。

しかし、その前兆はあったかもしれない。

京都に向けての前日、滋賀県に入ったばかりのところで、
トラックのエンジンが壊れた。
JAFを呼んだのだが、どうにもならず、新潟から車屋さんと
代車を呼んだのだが、その間、8時間余り、滋賀県の
インターでずーーーーーーーと待っていたことも、今となっては
いい思い出ではあるが・・・。

そして、京都に着いたのは朝方3時。
睡眠時間、数時間で、京都の展示会に備えたのでした。

京都での展示会中は、多くの方々の勇気と励ましを頂き、
早々に展示会を終え、新潟に向かったことを記憶しています。

それから、もう、4年。
被災地は、まだ復興中のところも多く、多くの方々の
心の中には、いまだに、震災の傷跡が心残っているのです。

母や、嫁さんもいまだに言います。
「怖かったと・・・・」

その後、多くの地震が日本列島を襲っています。
何とか、全国の多くの被災した方々が、普通の生活に
戻れることを願っています。

「いかに、普通の生活が幸せなことか・・・」
それは、体験した人にしかわからない事かもしれません。

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