砥ぐ。

   雨。     三寒四温です。

先週末に届いたビジネス誌の表紙の裏面の特集は
宮大工・小川三夫さんだった。

この方、あの法隆寺の大修理や、薬師寺金堂復興などを手がけた
宮大工・棟梁の「西岡常一」氏の一番弟子の方。

私も、「木のいのち 木のこころ」など、宮大工というか、職人としての
心構えから、その生き様までを書いた本を読み、その名前を
知った。

そんな方が、ビジネス雑誌で語っていた。
「刃物を研ぐ事が全てだと」

会社経営でも、「砥ぐ」ことですと・・・。
全ては砥ぐことが基本だという。

砥ぐことで、仕事にウソをつかない心構えになるし、
その心こそが大事だという。(多分そんな話だっと思う)

宮大工小川さんの会社は、見習の職人さんも多い。という。
昔、小川さんは、10年間の見習い期間の間は、新聞、本、テレビは
禁止だったと言う。

でも、今の時代の見習いの人には、そんな規制はないという。
でも、新聞や、テレビを見る雰囲気ではないという。

夕食を終えると、誰ともなく、刃物を砥ぎに行くと言う。
それが、見習であり、修行なのだと・・・。

我々、木を扱い、それを生業にするものは、
基本中の基本が、道具を使いこなすことであり、
道具を使いこなすこととは、すなわち、刃物を砥ぐことだ。

刃物を砥げるようになると、それを使って仕事をしたいと思う
ものであり、どんなに切れるのか、試したいものだ。

最初は、そんなところから始るのだと思う。

いかに時代が変われど、インターネットが発達すれど、
職人の仕事は、まずは、道具を使いこなすことであり、
それは、刃物を砥ぐ事である。

その記事を読んで、私も修行時代を思わず、思い出した。
誰も使わなくなった、身の短いカンナの刃を、
仕事が終わった後、ずーーーーと研いでいたあの日。

どうやったら、刃先が丸くならないのだろうか?
どうやったら、切れるカンナが砥げるのだろうか?
それは、いつも、いつも自身に自問自答していた。

それがあったから、今があるといっても過言ではない。
小川三夫さんのような、経験まではいかないが、
その記事を読んで、久々に、修行時代を思い出した。

宮大工は、修行10年。
私、今年で、22年目だが、まだ、まだ追いつけない。

職人は、死ぬまで修行かもしれません。

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