「桐たんす再生」、の本当の意味・・・。

    雪。   今日も吹雪。冬型です・・・。

先日、新潟のテレビ局から電話があり、取材の依頼を受けた。
何でも、桐たんすの再生の取材をしたいと言う・・・。

なぜ?桐の蔵って分かったのかは疑問だが、とっても、情熱のある
口調のテレビ局の方だったので、思わず受けた。

そして今日、吹雪の中、その方はやって来た。
一人で・・・・・。

そして、挨拶の後、工房でお話をしていたら、
「なぜ?こんなに大変で効率の良くない事をやってるんですか?」
という。

この方、多分、いろいろなところで、桐たんすの再生が大変だと
言う情報を得ていたのだろう。
そして、現場で桐たんすの再生を生で取材して、分かったのでは
ないか?

桐たんすの再生の大変さを・・・。

ホームページ上の桐たんす再生の所でも書いているが、
私がこの再生を始めたのは、効率や利益ではない。

桐たんすは、100年、代々使っていけるものであり、
桐の蔵は、「自らの人生よりも長く使っていけるモノ作り」をしている。

だから、少し古くなって来た桐たんすを修理して、改めて命を
吹き込み、またまた使って行くことのできる仕事をすることは
当然だと考えたからでした。

確かに、利益や効率だけを考えたら、決して、満足できる
仕事ではない。(だって、本当に手間がかかるから・・・)

でも、それを差し引いても、「お客様が喜んでくれる」という、
満足が残るからだ。

今回、このテレビ局の取材を受けて、私たちのやっていること
が、認められているのだと、改めて思った。

この取材、朝一番から、午後まで続いたが、このカメラマンの
方の職人魂には、頭が下がった。

放送されるテレビのタイトルは「まちの匠」らしいが、このカメラマン
こそ、その匠だ。って感じだった。

でも、年間を通して、全く途切れることのない桐の蔵の再生の
お仕事。
それは、全国のお客様が認めてくれたのだと思う。

今も、倉庫には全国から届けられた、再生を待つ桐たんすで
いっぱいです。

桐の蔵は、桐たんすを通して、ひとり一人の方に
喜んでいただければいただければ、それが、本望だと思う。

いつもながら思う。
この仕事は、私にとっての天職なのだと・・・。

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