2007年 12月 の投稿一覧

「終わりは、始まり・・・」

    雨。   でも、暖かい。

今日をもって、桐の蔵の一年の仕事は、無事に終わりました。
最後の日も、桐チェストのお届けで終わってしまいましたが、
きちんと、大掃除もしました。

今年一年を振り返ると、どんな年だったのでしょうか?
前半は、去年に引き続き、「桐米びつ」が支持され、
その勢いで、後半戦も・・・、と、思いましたが、
なかなかそうは、いきません。

そして、年間の展示会では、本当に、多くのお客様との
出会いがあり、年末には、兵庫のT様にお届けした、
今年一番苦労した、桐たんすを無事に、お届けすることができました。

工場内では、新人の石山君が、入社。
毎日、怒られながらも、必死に耐える姿。
そして、少しずつではありますが、技術を習得し、
今では、少し、任せられる部分も出てきました。

毎年のことですが、本当に、「お陰様」と、「お客様」に
助けられています。

桐の蔵の工場は、明日から、来年6日まで、お休みをいただきます。
今年は、いつもよりもゆっくりと休めそうですが、
来年は、「リニューアル」するものが多く、その準備がすでに
始っており、お正月も、その準備に終われそうです。

とりあえず、元旦は、お酒を飲んで、ゆっくりしたいと思っています。
そして明日からは、本当に、年の瀬という言葉通りになりそうです。

今年も一年、本当にお世話になりました。
どうぞ、来年も、宜しくお願いいたします。

良い年をお迎えください。

この季節は、青春を思い出してしまう・・・。

   曇り。    声が出ないです。  風邪が治りません。

私にとって、年末はとっても気になるスポーツが盛り沢山。
特に、高校生や、大学生の学生のスポーツを注目してしまう。

中でもまずは、高校ラグビーだ。
実は、私、高校時代はラグビー部。
弱小の高校ラガーマンだったが、年末の花園に向けて
同級生と一緒に、泥まみれのグランドで練習に明け暮れていた
事を、思い出してしまう。

結局、予選での敗退だったが、ちょうど、その頃は、
そう、あの、「スクールウォーズ」が全盛の時代だったから
尚のこと盛り上がったのは、言うまでもない。

だから、高校ラグビーの結果には、今でも一喜一憂してしまう。
でも、今年の新潟工業は、もう、すでに敗退してしまった。
惜しかったのに・・・。

で、長男いさみは、高校サッカーらしい。
確かに、この戦いも面白い。

でも、なぜか、ラグビーは地味だけれど、サッカーって
メジャーな存在だ。
仕方ないと思うのだが・・・。

高校サッカーの歌(?)、あの、「ふ〜りー向くなよ、うつむくなよ〜」
も、いい!!
勝ち上がっていくに連れ、ホント、素晴らしい戦いが展開されるし、
思わず、プロなんかよりも、面白かったりする。

「必死」さが、見ている方にも伝わってくるから・・・。

話は変わり、
明日で、桐の蔵の仕事は終わりです。
で、最後にふさわしく、明日も、桐チェストのお届けです。

終わりよければ全て良し。
そうなるような、エンディングにしたいと思います。

年末だと言うのに・・・。

   晴れ。  東京は快晴だった・・・。

ここ数日、子供たちが持ち込んだであろう風邪菌に
犯され、ずーーーと調子が悪い。

今年一番の桐たんすのお届けで神経を使ったのか、
その反動が体に来た。

数日来、市販の風邪薬を飲んでごまかしてきたが、今朝、
起きたら声が出ない。
これが、ホント、普通に話せないのだ・・・。

そんな状態で東京まで桐たんすのお届けに行く。
当然ながら、余り話さないようにするが、少しの反応でも
余りにすごい声なので、相手の反応が気になって仕方がない。

で、午後には工場に帰ってこれたのだが、あれこれ、指示しようにも
出来ないし、この声なので、信憑性がまるでない。

そして、そのうえ、午後から、右の耳が聞こえなくなってきた。
これって、中耳炎?

そう、次男のたっくんが、先日まで、中耳炎だったから・・・。
今、こうしていても結構辛い。

これからたっくんがもらって来た、中耳炎のお薬を
耳に入れてもらう。

それでもダメだったら、明日は、お医者さんい行かなければ・・・。
ホント、年末だというのに・・・。

追伸
A建築様
29日にお誘いいただいております、忘年会。
このような状態ですので、遠慮させてください。
申し訳ありません。

明日は、今年最後のお届けです。

   晴れ。    今日もいい天気だった。

ずーーーーと心に引っかかっているニュースがある。

先日、関東で少年サッカークラブのマイクロバスから
少年が車から落ち、後続車に引かれ死亡するという、
何とも痛ましく、やり切れない事故があった。

我が家の長男いさみも、同じく、少年サッカークラブに入っており
とても他人事とは思えない、本当に悲しい出来事だ。

こんなところで言う、話題なのではないかもしれないが、
私の中で、どこが、ずっと引っかかっているので、思わず
書いてしまった。

ほとんどボランティアで、休日返上で、子供たちをマイクロバスに
乗せ、試合に出かけたコーチ。
バスの自動ドアを自動から手動に切り替えるのを忘れたといって
起きた、転落事故。
そして、後続で走ってきたトラックに・・・。

まずは、この少年のご冥福をお祈りすると、同時に、
マイクロバスを運転していたコーチの気持を察すると、
何ともいえない気持になる。

この手のサッカーチームの監督やコーチは、ほとんどが
無給のボランティアだと思う。
でも、その反面、多くの少年を引率し、車に載せ、高速を走るという、
「事故」のリスクも背負っている。

そんなことは、当然のことながら自覚していたと思うし、
それ以上に、子供たちのことを必死に、考えていたと思う。

でも、起きてしまった事故。

最愛のご子息を亡くされた、ご家族は、本当に悲しみに暮れている
と思う。

そして、「過失」と言う事で、逮捕されたコーチ。
何とも、言えない・・・。

私が言うのもおこがましいが、出来ることならば、
「情状酌量」があって欲しい。

そして、二度と、こんな事故が起きないで欲しいと、
同じ、サッカー少年を子供に持つ、親として、
心から願っている。

このブログのタイトルからは、全く関係のない内容になって
申し訳ありません。

そして、明日は、今年最後の、桐たんすのお届けに、
東京まで行って来ます。

まずは、安全運転。
肝に銘じて、行って来ます。

今年もサンタがやってきた・・・。

    晴れ。    快晴。 ホント、暖かかった。

昨日は、兵庫県までの桐たんすのお届けから
帰宅したのは、夜、8時頃だったろうか。

帰宅したときには、子供たちはすでに夕食を終え、
クリスマスケーキも食べ尽くした頃だった。

そう、あとはサンタクロースがくるのか?を
楽しみし、布団に入るだけ。
6年生の長男はともかく、あとの3人の子供たちは、
ワクワク、ドキドキしながらの就寝だったに違いない。

私は、その日、早朝4時起きだったので、夕食後は
酔いも手伝って、もう、ヘトヘトモードだった。

でも、嫁さんの一言、「サンタさんは来るかな?」で、
子供たちが寝るまで、眠気を殺して必死に待った。

で、待つこと数時間、深夜になって、どうやら子供たちのもとに
サンタクロースが来たみたいだった。

今日も、睡眠時間は数時間。
朝は、起きれなかったが、隣りに寝ている次男たっくんの
枕もとには、しっかりと、サンタのプレゼントが置いてあった。

そして、次から次へと起きてくる子供たちの手には、
「ねぇ、お母さん、サンタが来た!!!!!!!」と、
喜びの声と共に、プレゼントがあった。

この日のために、サンタクロースはいるのであって、
クリスマスイブという、子供たちにとって、特別な日を
心待ちにしているのだと思う。

桑原家にも、今年も無事に、サンタクロースがやって来た。
サンタのプレゼントは、なぜか?嫁さんにも届いた。
そう、来なかったのは、私だけ・・・。

子供たちに言われてしまった。

「いい子にしてないと、サンタさんって来ないんだよ・・・」と。

そう、わたしは、いい子ではなかった・・・。

と言う事ですか・・・。

ふぅーーー。

    今朝は大荒れ。でも、兵庫県は快晴でした。

余りの緊張で、今日の兵庫県までの桐たんすのお届けは、
早朝、4時に目覚ましを掛けたにも関わらず、2時間おきに目が覚め、
ほとんど寝てない状態でした。

おまけに、新潟の天気は大荒れ。
雷が轟き、雨が激しく降る天気。
早朝4時は、どうなるのか心配でした。

その心配がなぜか的中。
高速道路をひたすら西に向かう中、雷が断続的に光る。
その中を、必死に走る愛車に、雷が光るものですから、
途中から、ナビに異変が・・・。

そして、光ったと思ったら、ナビが・・・。
精密機械は、雷に弱いですから・・・。

ナビがなくなった以上、頼るのはもう、地図しかない。
でも、地図はないし・・・。

結局、パーキングで購入することに。
その時でした、弟が、携帯ナビがあるなと・・・。

全く分からない分野でしたが、結果は、これが
助けてくれました。
しかし、いかに、ナビという文明の力に助けていただいているか。
特に、東京や、大阪などの大都市に行けば行くほど、
その威力に助けられる。

だから、パーキングで買った地図もそこそこに、携帯ナビで
行くことが出来た。
ホント、今日は、弟、さま様である。

そして、心配していたT様へのお届けも、無事に終えた。
これで、ホント、肩の荷が一挙に下りた。

T様。
本当に、ありがとうございました。
そして、その場で、また、洋服たんすのご注文まで
いただき、合わせまして、御礼申し上げます。
ありがとうございました。

その後も、大阪の北摂と呼ばれる閑静な住宅地、箕面市まで、
行くのだが、これも、ナビがないので携帯ナビに頼る。
でも、ここで電池という寿命があった。

そうなれば、もう、聞くしかない。
交番に飛び込み、行く人に聞く。
そもそも、ナビがなかった時代なんてこれが基本だったから。

やっと、帰ってきて、今、これを書いていますが、
今日、桑原家の玄関を「ただいまーーー」と開けたら、
壁一面がクリスマスデコレーションだった。

これで、疲れも、今日の苦労もなかった事に・・・。

「メリークリスマス」

「いい子には、きっと、サンタさんが来てくれるはずです。」

そして明日は・・・。

   晴れ。    この季節の晴れ間はめずらしい・・・。

今年は三連休となった週末。
そして、明日は日本全国の子ども達が心待ちにする
「クリスマスイブ」だ。

そして、我々は、今年一番の山である、
あの、某家具店様との相見積もりを征し、相当の手間がかかった
別注の桐たんすをお届けに、兵庫県まで向かう。

午前中に伺えるように、出発は午前4時半。
起床は、当然、午前4時。

この桐たんすの注文をいただいてから、段取り、製作、
色付け、仕上げ、梱包と、ずーーーーーーーと、緊張してきた。
それが、明日は、最後のお届けである。

なんと言っても、これが一番緊張する。
当然ながら、失敗は許されないし、傷なんかもつけられない。
無事に、お客様のお部屋に納まるまでは、本心で、
生きた心地はしない。

我々がお届けする桐たんすは、内心、いつもそうだ。
無事に、何事もなくお部屋に納まって当然なのです。

で、帰りにはもう一軒、大阪のお客様のご自宅に寄り、
それから帰宅。

明日のお届けが終わってこそ、クリスマスイブと
お正月が来るって感じだ。

まずは、どうか無事にお客様のお部屋に納まることを
願い、無事に、事故もなく帰ってこれますように。
今日は、早く寝ます。

では、行って来ます。

最後の最後の仕事。

      晴れ。   いい天気でした。

桐たんすを作っていくのは、何十、何百という工程を得て
高価な桐たんすが完成する。

親方の担当する、原木の仕入れから始まり、
製材、そして職人全員で行う、板干し、そして数年を得て
乾燥、渋抜きした板の板入れ。

その後の、木取り、板組み、組み立て、色付け、金具付け
仕上げと、大まかに言えばこんな感じだ。

そして、最後の最後は、私が自らの目で、確認し、微調整する
出荷前の最終点検が待っている。

これはもう、梱包、出荷前の最終的な調整なので、神経を
尖らせて、いろいろなところに気を付けながら、最終的な
点検を行う。

ここに来る段階で、大まかには完成しているが、
まれに、ちょっと気になる所などがあったりする。

だから、この最終点検は私が行ってきたし、
何かあれば、それは全て私の責任である。

毎回の事ながら、緊張するし、責任が重いながら、
これをしなかったらと思うと、安心して眠れない。

どんな業界でも、このような工程はあると思うのだが、
ものがものだけに、本当に気を使う。

今日の最終点検の桐たんすも、本当に緊張した。
何度も、何度も見直して、自身が納得して、やっと梱包した。

毎回、この連続で、品質が保たれているのだと思う。
今後も、がんばりますよ。
最高の品質を目指して・・・。

いつの間にか・・・。

    晴れ。     めずらしくいい天気。こんな日はもったいない。

見習期間中の新人君が来て早、2ヶ月。
工場に来てからは、ずーーーっと仕上げ部門を
やってもらっているが、ここ数日は、古箪笥の仕上げが
続いた。

最近では、ある程度は出来るようになったが、
最終的な肝心な部分は、まだまだ。(無理もないが・・・)

でも、今日は私が手が離せない仕事があって、
古箪笥の仕上げを「やってみろ」と、言わずとも
一人でやっていた。

いつの間にか・・・。

出来るものです。
今日の、古箪笥の仕上げは全く、問題なく
仕上げていた。

「習うより、慣れろ」です。
まだまだ、言いたい事は山のようにあるが、
余り、怒ってばかりいても・・・。

こうして、少しづつ、出来るようになっていくのですね。
でも、いつも口癖のように言うのは・・・。

「正確に早く」
これが、本当に職人です。

「正確で普通」ならば、それは、ホント、普通なのです。
「正確に早く」がプロなのです。

これが出来ないと、一人前とは認められないのです。
これが、本当の職人の世界。

甘くはないが、頑張ってもらいたいものです。

父親の威厳。

   雨。   しとしと、と・・・。

「最近の父親って・・・」と、
今日のお昼休みの時間、母が何気ない会話の中で
そんなことを言った。

何の会話の時だったのか、思い出せないが、
母は、私のようなの年代の父親が、家庭で大切にされない
事に対して、あまり良く思っていないような、会話だった。

確かに母の年代では、その家庭の父親は、絶対だった。
私が小学生のときなんて、桑原家の長である、祖父の夕食には、
必ずと言って良いほど大好きだった「お魚」は2匹付いていた。

私が、「何で2匹も・・・」というと、「当たり前でしょ」
と、怒られたものだ。

今の我が家では、そんなことはない。(たまにはある・・・)
確かに、食事は子供優先。(子供が多いから)
みんなの夕食の時間よりも、遅く帰ってくる父の
夕食は、子供の残ったものか、子供たちが食べないものだ。

でも、私の好きなものは作ってくれているので、全く不満はないが、
母の言うような、家長制度は、今では、ほとんど
見当たらなくなってしまった。

時代が違う。といえば、そうなのだが、
それも悲しい気がする。

私自身、父親の威厳なんて全く持っていないし、
それは、私には、まだまだ遠いものだと思っている。

子供たちは、私をどう見ているか分からないが、
多分、「仕事ばっかりして・・・」とか、「いちいちうるさい」
と、思っているに違いない。

「父親の威厳」
響きのいい言葉だと思うが、
今の時代、なかなか、そうなれない。

昔、テレビでは「寺内貫太郎」なんかが、そうだっと思うが、
そんなドラマさえも、今では、不自然な時代になった。

今でもはっきりと思い出してしまう、桑原家の家長だった
祖父の存在を。
あの存在感は、何だったのだろうか?

その存在こそが、「威厳」だったのかもしれない。