2006年 2月 の投稿一覧

親友

昨日、夜、6時頃仕事をしていたら、「たかちゃん〜」(本名たかしって言います)
って言いながら、久しぶりの友達がやってきた。
こいつは何と!、保育園時代からの友達。そう、親友だ。
保育年から小学校、そして高校まで一緒だった。
そういう友達って、なかなかいない。
ここまで一緒だと、何から何まで知っている。
だから、親友。
大人になって、親友と呼べる友達って、数えても何人もいない。
数年ぶりに会っても、普通に話が出来、会話も自然に話が合う。
こういう友達って、いそうでいない。
こいつ一人いるだけで、あるときに、助かるんだな。
親友と呼べる友達って、なぜか、中学校時代の友達が多い。
私は、大学には行っていないので、そのせいもあるだろうが
田舎なので、義務教育の最後。
それも多感な時期を、一緒に過ごすことで、絆も強くなるんだ
ろうか。
ホント、久しぶりに話して、改めて友達の大切さを実感
したひと時でした。
明日は、なんと、奈良まで桐たんすをお届けです。
こればかりは、お得意の日帰りでは行けません。
一泊での、お届けです。

名古屋という文化

週末は、1年ぶりの名古屋での展示会。
心配された名古屋までの道のりは、とてもスムーズ。
暖か気候で、心配はありませんでした。
名古屋って、大手有名自動車メーカーのお膝元。
展示会の会場となるその場所、到着した日は、その企業が全館貸切
物々しい警備と、黒塗りの高級車の数々。
とても、近寄りがたい雰囲気でした。
さすが、世界のト○タです。
今回で2回目の名古屋。
先回も、遠く大阪からお出かけいただいたお客様。
今回は、隣の三重県からお出かけいただいたY様。
そして、なんと!神戸からお出かけいただきましたH様。
本当に遠いところ、また、わかりにくい所、わざわざ、お出かけいただき
まして、ありがとうございました。
会場が、大きすぎて、どこでやっているのか分からない。
と、多くの方々に言われました。
猛省、させていただきます。
展示会を終えての感想は、名古屋って、独特の文化があるな・・・って
そんな感じです。
確かに、女の子は巻き髪で、名古屋嬢って感じでしたし、
弟が食した、手羽先も美味そうでした。
新潟県と比べるのも辺ですが、名古屋の勢いというか、若者の
パワー、街の勢いを感じました。
大水、地震、大雪。
災害が立て続けに起きる新潟と、愛・地球博で活気づいた名古屋。
その違いはあるけど、どことなく、勢いのある街なんだな・・・
東京、大阪とはまた違った文化が、完全に形成されている街。
名古屋って、奥の深い街だな・・・
そんな思いをもって、新潟に帰ってきました。
ご縁を頂きましたお客様。
本当に、ありがとうございました。

名古屋へ向けて

週末の名古屋での展示会に向けて、準備にあわただしい。
何せ、1年ぶりの名古屋。
やっと、展示会場が確保できたのだから・・・
名古屋へは、長野県を通って、アルプスの麓、中央自動車道を走り、
名神高速に入る。
そうすると、途端にトヨタ車が多くなる。(笑)でもないか・・・
片道、約7時間。
さすがにどっと疲れる。
でも、今回は、前日に準備が出来ない。
会場の都合で、当日(土曜日)の朝、準備なのだ。
だから、余計焦る。
ここのところ、新潟県も雪が消えて、春めいて来たけど、名古屋はどうかな?
明日は、午前中に出発です。
良いご縁がありますように。
皆様、お時間を作って、お出かけ下さい。

北日本新聞に出たみたい。

先週末の展示会は富山市で行ってきたと、ここにも書きましたが
その際に、北日本新聞と、富山新聞の取材を受けていた。
北日本新聞さんは準備の金曜日と初日の土曜日の二日間も、
取材に来てくれた。
最終日の日曜日に新聞に出るのかな?と思っていて、新聞を買ったけど
出てなかったので、それ以降、忘れていた。
しかし、昨日から、どうも富山県からの問い合わせの電話が多い。
今日も、富山県・・・
どうもおかしいので、今日お電話してきてくれたお客様に聞いてみた。
どうやら、火曜日の北日本新聞に出たらしい・・・
で、北日本新聞は富山県では購読者が一番多みたい。
どんな感じで出たのかは、全く知らない。
でも、取材に来てくれた女性の記者の質問や、とても多く写真を撮られたことは
記憶にある。
新潟の展示会のときもそうだったが、マスコミの影響は少なくない。
今回の、富山の展示会も多くのご縁があったが、その会場に来られていない、
新聞の紙面だけのご縁が、どう繋がるのかも不思議なものだ、が・・・
当然ながら、すぐにご縁があるなどと、都合のいい思いはありませんが、
どこかで、繋がってくれれば幸いだな。という思いはどこかにあります。
人と人のつながりは計算できません。
だから、人生は面白いのだと思う。
何だか、真面目になってきましたが・・・
今週は、名古屋での展示会。
新潟、長野、岐阜を通って、名古屋に入ります。
アルプスの麓を通るだけに、雪が心配ですが、この天候なら
問題ないのですが・・・
遠く、兵庫県からお出かけいただけるH様。
お気をつけてお出かけください。

段取り=先を読む力

今日は、もう、春だ!って感じの天気。
工場では、ストーブを消し、何と!窓まで開け!、ホント、久しぶりに
太陽の光を浴びた、気持ちのいい日でした。
春は、もうそこまで来ています。
今日は、あるお客様から頂いた、特注の桐たんすの段取り。
親方にその図面を渡し、木取り(準備)を行い、その部材作りが始った。
さすがに、特注なので、一つ一つ確認しながら親方から提供される
木取りの部材を整えていく。
全て、部材が整い、組み立ての段階になっても気が抜けない。
頭の中で、このたんすには、この板と、この板、この材料が必要で・・・
そのためには、この作業を先にして、板を張って、乾く時間までに、これをやって
乾いてからこれを削って、そして、その頃にこれが出来上がっているな・・・
もう、毎日が頭の中ではこの連続です。
桐たんす職人は、段取りが命。
一日の作業の進行が、その日の朝(前の日の夜というか・・・)には、全て出来上がっていて、始業からは、その段取りに従って、バリバリモードに入ってく。
段取りがいい!って言う事は、いかに先を読んで、効率よく仕事が出来るか。
だと、私は思う。
常に、これを先にやった方が良いか。
それとも、こっちが良いか。
そんな事を考えながら、仕事を進めていく。
ただ単に、与えられた仕事をこなしていくのとは、大違いな作業である。
職人さん達は、全ての工程でそのプロセスがバッチリと計算されている。
その段取り(先を読む力)は、さすがと言うくらいだ。
さすが、プロフェッショナルである。
私も、まだまだ20年の経験の中で、どうやったら早く、正確に
よりよいモノ作りが出来るのだろうか?と毎日、考え、段取りを組み立てる。
それは一日の時間内での戦いでもあり、お客様が喜んでもらえる作品を
お届けしたい!という思いからの行動である。(そのつもりです)
最近、毎日のように、お客様からのお手紙を頂きます。
そこには、届いた桐たんすの写真を、わざわざ撮っていただき、送ってくれる。
そんなお客様の温かな思いのお手紙の数々です。
決して、計算したように先を読む事なんかは出来ませんが、
仕事の段取りだけは、読めているつもりですが・・・
また、今晩も明日の段取りを考えながら・・・

新潟県は、北陸地方?

昨日まで、富山市で展示会。
準備の金曜日は、雪。
さすが北陸地方。高速道路も、湿った雪で到着時間が遅れたくらいです・・・
今年初めての、県外での展示会。
お陰様で、多くの方々にお出かけいただくことが出来ました。
この場をお借りして、御礼申し上げます。
富山県は新潟県の隣。
縦に長い新潟県を抜け出すのに、加茂市から約2時間はかかる。
関東方面なら、埼玉県に入るくらいの時間だ。
感覚としては、いつまで行っても新潟県なのだ・・・
右手に荒波の日本海を見ながら、やっと、富山県に入る。
地図上では、隣県だが、文化、風習はまるで異なる。
一般的に、北陸地方といえば、富山、石川、福井なのだが
今、いろいろ議論されている「道・州制」の議論からすると、
どうやら新潟県も北陸に位置付けられるらしい。
でも・・・、一応、新潟県人として言わせていただければ、新潟県は
関東圏である。
もっと言わせていただければ、けっして北陸ではない・・・と思う。
(個人的に)
その証拠として上げられるのは、上越新幹線と関越自動車道(高速道路)だ。
あの、田中角栄さんが作ったといわれる、この二大幹線は、新潟県に
多大に利益をもたらしたのは言うまでもない。
首都圏と、新潟県を直結したのですから。
展示会を、いろいろなところで行うようになって数年。
その土地、土地の傾向が少しずつであるがわかってくる。
封建的な土地柄。
オープンな土地柄。
まじめな土地柄・・・・
いろいろな地域がある。
そりゃ、当たり前。
その中で、北陸地方の位置付けは?
私だけの内緒にしておきます。
今週末は、愛知県名古屋市。
今、日本で一番ノッテイル街ではないでしょうか。
この街で、どんなご縁があるのでしょうか。
新潟から、約7時間。
久しぶりの尾張・名古屋に向かいます。

鍵をかけたい。

数日前に、新潟市から「桐たんすの鍵をかけたいのですが・・・」
との電話があった。
よく聞いてみると、古い桐たんすの引出しの鍵がかからないらしい。
他はどうでもいいので、鍵だけかかるようにして欲しいとのこと。
とりあえず、どんなたんすか?状況はどうなのか?も、知りたかったので
見てみないと・・・と伝えたのですが、今日、桐たんすが2本(電話では1本)
送られてきた。日通さんで。
うーーーーん。
1本はいけるが、もう1本は完全に鍵穴の位置が違う。
埋木をして、再度、穴を開け直して、鍵穴の位置を調節しなくてはいけない。
古いたんすを再生する場合、お客様の方で、「鍵なんかいいわよ。かからなくて」と
言われる場合は多いが、他の修理はいいので、鍵だけかかるようにして欲しい。と
依頼されたのは、初めて。
お客様のニーズは様々です。
こんな状況なので、お客様と直接お会いしていない。
電話だけ。
なんでも、80歳になると言う男性からの依頼。
余程、大切で、思い出のある桐たんすらしいって事は
電話でのお話しで伝わってきた。
桐たんすには、それぞれの思い出が詰まっている。
買った時の思い出や、使っていた人との思い出、などなど・・・
思い出って、お金を出して買うことって出来ないんだよね。
だから、形として残っているモノを、新たに再生して残しておく。
やりがいのある仕事ですが、それだけプレッシャーも感じてしまいます。

将来の夢

桑原功匠(いさみ)10歳、小学校4年生。
今週、授業参観がありそこで将来の夢の作文を父兄の前で発表するらしい。
先日、一緒にお風呂に入った時(まだ一緒に入ってます)
いさみに聞いた。
将来の夢ってなに?
えっ。
うーーーーーん。と教えてくれない。
もう作文書いたの?と続けざまに聞くと、書いた。と言う
じゃ、授業参観が終わったら、その作文見せて。と、また聞いたら
先生が返してくれないかも・・・・と一言。
さすが、おとなしい長男。
ここでも口数が少ない。
しばらくいろんな事を話して(お風呂っていいね。会話が親密になって)
もう上がろうと思い、最後に。
「将来何になりたいの?」って聞いたら、
サッカー選手かたんす屋。
えっ・・・・
たんす屋!
どっち?って聞いたら
どっちもって、言った。
サッカー選手になれなかったら、たんす屋ってことらしい。
たんす屋か・・・・
うれしいような、不安なような、何とも言えない気分だった。
たんす屋って、お父さんの仕事見てるんだろうか。
昔みたいに、自宅の前が工場なんていう立地じゃないのに
お父さんの働く姿なんて見せたことないのに・・・
まあ、まだ4年生のことだからと思いつつ、その一言が
最近頭から離れない。
十年後って、もう彼が20歳。
十年後までの計画作った方がいいかな・・・・
でも、どうなるにせよ、「たんす屋」って言ってくれと事は素直にうれしい。
三代続いてきた工場なんだから。

チョコレートの記憶

職人は甘いモノが苦手・・・・とは限らない。
親方は、昔、チョコレートでお酒(ウイスキー)を飲んでいた時代も
あった。
弟は、5時までの仕事が終わってから、ホームページの更新中に、
ぼりぼりと、どこかからお菓子を見つけて食べている。
確かに職人・横山松雄は今だに、コーヒーすら飲めないから
チョコレートどころではないかも知れない。
でも、みんな結構甘いモノが好きだったりする。
今日は言わずと知れたバレンタインデーである。
朝、嫁さんが、「工場で食べて」とチョコレートをくれた。
この土日に、娘達と手作りしたモノだ。
昨日の晩に少し食べたが、ぐにゃっとして(生タイプかな?)なかなか美味かったが・・
強烈に甘い。
食事前に食べたので、大事な焼酎が全く進まなかった・・・
でも今って、平気で小学校でチョコレート上げたり、もらってくるんですよね。
我々の頃って、そんな事ってなかなかなかった(一部のモテモテ君を除いて・・・)
だから、親の方も手作りチョコを楽しんで作っている。
どちらかというと、こんなことが好きな嫁さんなので、娘達も大助かりらしい・・・
あるお菓子屋さんが始めたと言われるこの風習。
今となっては、クリスマスに次ぐお菓子業界のピークなのでは。
「桐たんすを上げます・・・」なんて風習もあってもいかも。
そういえば、昔、「桐たんすの日を作ろう!」なんて必死で考えていた諸先輩方も
いたっけ。
バレンタインデー。
でもこの日に賭けている若者もいるんだろうな〜

疲れたなんて・・・

桐の蔵の親方の口からは「疲れた」の言葉を聞いたことがない。
昭和11年生まれだから、もう70歳。
先日も風邪をこじらせて数週間お休みしたが、直ってからは
どこが悪かったんだ!と思うくらい、バリバリ働いている。
私はと言うと、木取りの仕事が追いつかないくらい忙しく、家に帰っても
「疲れた・・・」の言葉が続く。
この言葉、言われた方もあんまりいい感じはしない。
だって、どうしようもないし・・・・
だから先日から、「疲れた」って言ったら100円貯金することになった。
今朝も、朝起きて、つい「疲れた」って言ってしまった。
これで、300円貯まってしまった。
昔、親方の口から「俺は人前で疲れたって言ったことはない」という言葉を聞いた。
その時は、確かに聞いたことはないな。って思った。
人間(私)、弱いからすぐに弱音を吐いてしまう。
でも、さすが昭和11年生まれ。
絶対に弱音は吐かない。70歳になってもだ。
息子から見て、それだけはすごい!と思う。
昔は、今よりも雪はたくさん降ったし、生活も不便だった。
コンビニなんてないし、高速道路も新幹線もなかった。
そんなこというと、時代が違うって・・・なんて言われそうだが
そんな時代はそれが当たり前だと思ったし、その分、精神的に
強かったんだと思う。
昔、桐の木を買いに山に入ったとき、親方は倒した桐の木をトラックに
乗せるのに肩から人力でトラックに乗せようとした。
私も手伝ったが、どうしようも動かなかった。
今では、ユニックの付いたトラックで持ち上げて、ひょい!だが、
そんな時代を生きてきたからこそ、「疲れた」なんて決して言わないのだと思う。
子供は親の背中を見て生きていくんだね。
私も、子供達の前で弱みなんて見せれないな。
しっかりしなければ・・・