2005年 10月 の投稿一覧

一寸、一尺、一分。

今日は一日中、桐たんすの引出しの底になる部分の板を作っていた。
通称3分板と呼ばれる厚さ約1cm、長さ45cmに切った板をずっと削って、かんなを掛けていた。
桐たんすの業界で使う寸法は、センチではなく一寸、一尺、一分を使うところが多い。
最近は、センチを使うところも増えてきたけれど、桐の蔵は今だに寸、尺、分。
私自身はどちらでも使うことができるが、職人さんはセンチはダメ。
昔ながらの寸、尺、分なのだ。
正確に言うと一寸は3.03センチ、一尺は30.3センチ、一分は3.03ミリ。
これだから、尺をセンチに直すととても半端。
今はお客様との図面のやりとりはセンチで行い、それを寸、尺、分に直した図面を職人さんに
渡す。結構手間取る。
職人さんは昔から、この単位で仕事しているので、センチで言われてもピンとこない。
親方なんかは、普通の会話でも、センチでなく、寸を使っているくらい。
この寸法、他に使っているところはあるんだろうか。
桐たんす業界と比較的、似ている業界は桐下駄屋さん。
でも、今は桐下駄屋さんもとても少ない。
県内でも専門にやっているところは一軒くらいかな。
桐を扱うところは、こうして段々と少なくなっているのが現状かも。
そのうち、寸、尺、分なんて寸法も絶滅するかもしれない。
必要かと言われれば、そうではないかもしれないが、たんす業界で使われてきた寸法。
こんなところも、大切に伝えていきたい一つだ。

再生たんすはお嫁入り道具

春にお預かりしていた、古い桐たんす2本の再生が出来上がった。
ご依頼主のお客様は隣町に住む、会社を経営する社長さん。
お嬢さんが9月に結婚するとのことで、ご親戚の方から頂いた古い桐たんすをお嫁入り道具に
持っていくことを決めたという。
5月にある日、実際にお会いして、どのように仕上げたら良いか、金具はどんなものにするか、
など、打ち合わせ。
その中から、仕上げは伝統的な「との粉」塗装、金具は桐の蔵オリジナルの「漆」の金具を
付ける事に。
仕上がったたんすは、うるみ色の漆金具が付いてお嫁入りって感じ。
全く、古い桐たんすなんて思わない。
帰り際、職人の横山さんが、「どれが古いたんすかわからんね」とつぶやいて帰った。
それくらいきれいに仕上がった。(すみません、手前みそで・・・)
和たんすと整理たんすの2本。
並べて置くと、立派。
使って欲しいとお願いしたご親戚の思いと、父と娘さんの思い。
どちらも叶えられて、思いでの込められた桐たんすになりました。
11月に、新築のご自宅が完成するそうで、そこに届けます。
H様、とてもきれいになりましたよ。

決算報告会

桐の蔵は8月が決算。
よって、10月末日までに税金を納めなくてはならないのだが、
さっきまで税理士さんを交えての決算の報告が行が行われていた。
詳しいことは言えないが、前期よりも1割アップの上出来の1年でした。
桐の蔵が生み出した新しいデザインの桐チェストシリーズも、約1割アップ、
そして伝統的な総桐たんすに至っては、1割5分ほどの上乗せでした。
職人の感覚からすると、伝統的な形の総桐たんすの人気はどうなのか?と思いがちですが、
まだまだ、日本の文化「総桐たんす」の人気は根強いと思いました。
私達、職人の使命に一つに、「桐たんすの良さを一人でも多くの方々に伝える」
という使命があります。
説明次第ではもっと多くの方々に桐たんすの良さを知っていただけると思うのです。
知識や情報の少ない家具店の店員さんと、私達作り手の職人の説明では、自ずと違いが表れるのは
当然です。
それは無理のないことなのですが、今の時代、作っている人はどんな人なのか。
どんな工房なのか?
その工房はどんな思いで作っているのか?など、出来るだけ多くの情報をお客様は知る必要が
あると私は思います。
それでなくても高価なものです。
この1年間、多くのまちで展示会を開かせていただき、ご縁を頂きましたお客様。
実際、顔を見ることはありませんでしたがHPでお求めいただいたお客様。
そして、ずっと桐の蔵を支持していただきましたお客様、全ての方のお陰で、こうして
工房で元気に働く事ができました。
私が桐の蔵を受け継いで、まだ、5年です。
まだまだ、やりたいことがたくさんあります。
今後とも、変わらぬご支援を宜しくお願い致します。

ブログにお引っ越し。

桐の蔵の事務所は6畳。
そこにコピー機(FAX兼用)、机1台(両方から2人で使っている)
3人がけのソファー(年代物)とテーブル。収納棚が2個とパソコンが2台。
そして書類入れのチェストが2個。
これだけのものが詰まっていて、最大でそこに4人がいる。
もう、いっぱいいっぱい。
昨日も、増えすぎたファイルを弟が整理してくれたお陰で、収納棚がもう一つ、
増えた。
今までの日記は会社のウィンドウズマシンで、一生懸命書いていた。
でも、今日からはこのブログにお引っ越ししたので、私のマッキントッシュで書いている。
(最近調子が悪い)
今までは、仕事が終わってウインドウズが空いた時間に書いていたが、今日からは
自由に書ける。
お陰様で、この日記いろいろな人から読まれているらしい・・・
お求めいただいたお客様はもちろん。
先日は、某銀行員の方から見てます。と言われたし、
また、ある歯科医師の方も読んでいるらしい・・・
ありがたい。
これからは、コメント出来ますので、ご自由にコメント下さい。

「ブログへお引越し」

本日を持ちまして、下記のアドレスへお引越し
いたしました。
出来ましたら、「お気に入り」に入れていただき
コメントもいただければ幸いです。
今後とも、よろしくお願いいたします。
   「三代目 奮闘記」

「太陽と気温との戦い」

久しぶりの晴れ。こんな日を秋晴れ(もう冬に近いけど)と
言うのだろう。
今までずっと雨模様の毎日で、我が家では、毎朝ファンヒーターが
ついている。
こんな天気の日を逃すまいと、塗装待ちの古いたんすの塗装を、太陽のもとで行った。
開始は午後1時。
太陽が陰る、午後3時過ぎまでに何とか2本半の桐たんすの色を
塗らなければならない。
開始の午後1時の気温は約18度。
直射日光が当たり、塗装には最適の天気だ。
これが3時過ぎまでもってくれればである。
今回の古いたんすの塗装は、との粉塗装。
との粉とは、粘土質の土で、それを砕いて水を混ぜ、染料を加えた
液を刷毛で塗っていく、水性塗装だ。
これにはある程度の温度と、風が必要。
また湿気があるといい色が出ない。
いつもは、温度を一定に保つ部屋でストーブと扇風機をつけながらやるのだが、その部屋は今井君が使用中。
なので、太陽の下での作業だ。
気温が下がらない2時間で終えなければならない。
失敗はもちろん、段取りが悪いと時間内には終わらない。
来客や、電話は一切禁止。
刷毛に全神経を集中し、五感を研ぎ澄ませなければならない。
桐たんすの塗装は、全てそう。
これが太陽(気温)との戦いなのだ。
でも、お陰様で太陽はずっと出ていてくれ、気温が下がりかけた
3時半には終了。
太陽さんのお陰で、いい色が出ました。
私が小学生の頃、、自宅前の工場で、父が天気の良い日に
こうして太陽の下で塗装していたのを思い出す。
昔は、こうして仕事してたんだなぁーと。

「アスクルのスピード」

昨日の夕方、6時頃にコピー用紙がないことに気づき、
アスクル(文具の宅配?)に注文した。
夕方6時頃の注文だったので、次の日は無理だな、と思っていたら
なんと、今日、届いた。
驚きである。
アスクルは「明日来る」から取った社名だとか。
そのスピードは、半端ではない。
確かに商品にもよるが、ホームセンターなどに買いに行くよりは、
手間いらずで、格段にいい。
何よりも、カタログが楽しい。
見ていると、余計なものまで頼んでしまうのも、アスクルの戦略かも。
今では、キッチン用品や、洗剤までも取り扱っている。
恐るべきだ。
やはり、魅力のある会社は他社に負けないものを持っている。
それがスピードであり、商品である。
職人もスピードは大切だし、それ以上に正確さはもっと大事。
そして桐の蔵の命とも言うべき、ものづくりのミッション(使命)
このミッションはいつの時代でも変わらないのだ。
「伝統にあぐらをかかない」 
「桐たんす文化を創造し革新する」
この言葉を、いつも肝に銘じて、仕事に打ち込んでいることは
言うまでもない。
で、アスクルのミッションって、なんなんだろう。

「山形は冷たい雨、そして・・・」

週末の展示会は山形市。
準備の金曜日は良かったが、土曜日、日曜日と雨。
日曜日は、雪でも降るのかと思うような冷たい雨でした。
そのお陰もあって、お客様は少なめ。
同じ階では、山形県の伝統工芸品展をやっていたので、比較的
お客様の入りは良かったのですが、私たちのところまでは、遠かったようです。
そんなことでしたので、ご縁をいただいたお客様も少な目。
まあ、こんなこともあるさ。と慰めの言葉を交わしながらの
帰宅でした。
それに追い討ちをかけるように、今日になって会場からの電話。
お客様からのクレームが一件入ったとのこと。
「気をつけて下さい」と怒られてしまった・・・
そんなんで今日は気持ちはブルー。(今ってこんな言葉使うんだろっか)
立ち直りに時間がかかりそうです。
でも今日は、綺麗でかわいいお客様から、再生のご注文を
頂きました。
それがせめてもの救いです。

 「朝、7時30分に金沢へ」

先週の滋賀県への桐たんすのお届けも、朝4時30分起床だったが
今日はそれを更新した。
お客様の都合で、どうしても朝7時30分までに、桐たんすを持ってきて
欲しいと言う。
最初は、9時って言っていたのに・・・
と言うことで、4時起床。
ホントは、4時20分に目覚ましをセットしていたが、緊張のあまり
4時に目が覚めてしまった。
あたりは真っ暗。
でもお陰様で時間通りに着く事が出来た。
ついでに、福井県のお得意様に顔えお出して、すぐに帰路に着いた。帰って明日からの山形の展示会の準備や、残っている仕事をしなければならず、ダッシュで帰った。
なんと、午後3時前に工房に到着。
それから仕事して、準備してもうこんな時間。
未帆ちゃんから、何時に帰ってくる?との電話が入る。
明日から展示会でいないので、早く帰ろう

「あの大地震から1年」

忘れもしない2004年10月22日は土曜日だった。
私たちは京都での展示会の初日を終え、夕食を取っていた。
京都でも揺れは確かに感じられ、あれ、地震だ、と私もわかった。
それから数分後、仙台に住む姉から、携帯に電話が入る。
新潟が大変だ。すごい地震で・・・
携帯から自宅人電話しても繋がらず、すぐに公衆電話へと走った。
やっと父と話が出来たことを記憶している。
次の日は展示会どころではなかった。
帰りの高速道路は確保できているのかの情報が入らない。
1時間前倒しして展示会を終え、とりあえず行ける所まで行こうと、
ひたすら高速を走った。
あと1時間と言うところで高速から降ろされ、被災した街を通り
なんとか自宅についたのは深夜1時過ぎだった。
かみさんは恐怖でおびえていた。
子供たちのことや、地震のあったときの状況などを聞き、床についたら、ドスンという余震。
この余震で、やっと実感が湧いたのが正直なところだった。
それから数日、かみさんなどは、いつでも逃げれるようにと普段着で寝ていたし、仕事をしていても大きな余震が何日も続いた。
もうあれから1年。
まだ、被災地では仮設住宅で過ごす家庭も多い。
長岡市では、自宅の復旧や、建て替えで、大工さんが足りないと言う
お陰様で、被災は免れ、私たちは住むところも、食べることも何不自由なく取る事ができた。
でも、グッラときた大きな余震だけは今でも、忘れることは出来ない。
一日でも早く、被災された方々が元の暮らしを取り戻せることを願います。