2004年10月29日

「新潟中越地震 3」

子供たちは地震の恐怖からまだまだ抜け出せないようですが、昨日、今日と余震が減ってきた。でも、相変わらず揺れてもいないのに、揺れを感じたりする。
人間の感覚とはおかしなものだ。報道で次から次へと放送される、奇跡的な男の子の生還は、本当に感動だ。私も、1才の男の子を持つ、父として他人事ではない気がする。今回の地震で、子供たちには相当の恐怖心が植え付けられたと思うし、ある意味では、この経験が生かされるときが、来るかもしれない。
私も、こんな経験は生まれて始めてである。貴重な経験だと思うし、いまだ、終わってないので振り返ることもやめておきたい。とにかく、みんなが無事だったことがなによりである。まだまだ、震源地に住む方々の生活は、先が見えない。とにかく、一日でも早い、復興を願うしかない。

2004年10月27日

「新潟中越地域地震 2」

昨日まで、比較的落ち着いていた余震が今日になってまた活発化してきた。午前10時40分頃。工房の事務所にいたら、急激な揺れが襲った。すぐに、工房内のストーブを消し、落下物に備えた。ここ数日、新潟はとても寒く、工房ではストーブを付けている。地震から起きる火災が一番怖い。工房は木造2階建て。
2階で組み立てをしている職人の横山さんと、小池さんは、「すごい揺れだった」と話していた。ラジオを付けると、震源地は震度5だそうだ。高速道路は通行止めになり、長岡駅は立ち入り禁止だそうだ。いつになったら収まるのだろう。
そうこうしているうちに、次女が通う保育園から電話があり、
地震のため子供たちを帰したいので、迎えに来て欲しいとのことだった。すぐに車を走らせ迎えに行く。隣の小学校では、グランドに緊急避難していたという。私は、23日の最初の揺れを経験していないが、ここ数日の余震だけでも
本当に怖くなってくる。

我が家の玄関には、いつでも逃げ出せるように、日に日に、荷物が増えていく他の友人に聞くと、どこの家もそうだと言う。今晩も眠れそうにない。

2004年10月26日

「新潟での地震 1」

京都での展示会の最中、新潟での地震の知らせを聞いた。食事中に携帯で電話をするが、つながらない。不安ばかりが募る。公衆電話を探し、実家に電話。やっとつながり、無事を確認した。しかし、直下型の地震はすさまじいらしかった。家内と話をするが、けっこうパニック。子供たちは、怖さに震え、泣いているという。
展示会を終え、急いで帰る。帰りの高速道路で、何台もの緊急援助車両を追い越す。その度に、現地はどうなってるのか不安になる。高速道路は途中までしか行けなく、途中で降りて国道を行く。それも寸断され、他の道路を回って、深夜1時に自宅に着いた。家内は、いつでも逃げ出せるようにと、避難用具と子供たちの服を玄関に揃え、ジーパンをはいて寝ていた。深夜1時半過ぎ、床に着こうと思って部屋に入ると、地震の恐怖で寝れない子供たちが、布団の中で起きていた。朝、6時。ドスン、っという揺れと共に、「お父さん起きて」と叫ぶ、家内の声で飛び起きた子供を抱き、揺れが終わるのをじっと待つ。この町でもこんななのに、震源地はどんなだろう。子供たちは、恐怖のあまり、揺れと音に敏感になっている。私も、揺れているのか、錯覚なのかわからなくなる。常に、テレビは地震速報。こんな揺れで、被害が幸いにしてなかったのは、本当に救いだった。朝、工房の上空は、数機ものヘリコプターが大きな音を立てて、毎日、飛んでいく。

2004年10月25日

「京都から新潟へ」

この週末は京都での展示会だった。さすがは秋の京都。観光客でごった返していた。そんな中、大阪からは、榎本さん、中野さんから展示会にお出かけいただいた何度も、この日記で書かせてもらっているが、本当に遠方から来ていただけることに感謝します。榎本さんは、名古屋の展示会からのお付き合い。今回、京都での2回目の展示会だったのですが、忙しいところ来て頂いた。本当に、ありがとうございました。また、初日の土曜日は、金沢から高速バスに乗って坂井さんが着てくれた。金沢から京都までだ。これにも本当にびっくりした。坂井さん、中野さん、ありがとうございました。しかし・・・
「携帯電話の知らせだった」新潟が大変なことになっていると。仙台に住む、姉からだった。私たちは、京都の取引先の社長さんと食事を始めようとしていた時だった。「新潟県中越地方の直下型地震」桐の蔵の工房と、自宅はこの中越地方の一部なのです。詳しくは明日。

2004年10月20日

「広告を考える」

昨日、地元の商工会議所に、有名な経営コンサルタントの方が来られ、広告に関する講演会があり、そこに参加してきた。7月にも一回あり、今回はその2回目。わたしが所属する商工会議所の青年部組織が企画したのだが、この方の広告に関する話が、とても良かった。青年部の中から3社が手を上げ、この先生と一緒になって広告を作り、実際に広告を出して、その結果を発表するいうものだ。やはり、経営のプロ。いろんな会社にアドバイスし、情報や知識がたくさん。
数限りない経験があり、ネタがあるから、たいていの業種にアドバイスできるらしい。今回は、居酒屋さん、インテリア関係、そしてお米屋さんの三社のアドバイスだったが、出来上がった広告は、いずれも素晴らしく、思わずうなってしまった。関心がある時に、ふっと目に入る広告は、思わず読んでしまう。一概に、広告と言えども、奥がかなり深いのです。

2004年10月15日

 「あっという間の一週間」

先週末の連休、同業者10社で展示会を地元で開催した。その前に、日記を書いたが、それ以降、一週間お休みしてしまった。展示会が終わって、忙しさにかまけてしまったのだ。この日記は一日の終わり、仕事が終わった夜に書いている。この一週間は、毎日のように夜、他の用事があり、出かけていたため、日記を書くことが出来なかった。この夜の用事というのが結構、曲者だ。色々とあるのだが、会議というのが、結構ある。私自身、あまり好きなものではないが、付き合い上、行くことになる。それでも、少し前までは、一生懸命会議にも参加して、頑張っていた。でも、最近は、年をとったのか、億劫になってきた。そんな時間があったら、仕事をするか、家に帰って子供たちと遊んであげたほうが、有意義だと思ってはいるが・・・。でも、思うだけで実際は参加してしまうのだ。
ほんと、今週はそんな一週間だった。今週末は、ゆっくりしよう。

2004年10月 7日

「嫁ぐ娘に桐たんす」

秋の婚礼シーズンの影響か、ここのところ桐たんすと桐チェストの問い合わせが相次いでいる。先日も、12月に結婚する方から電話での問い合わせがあり、今日も、朝早くに1月に結婚される方から問い合わせがあった。今までは結婚が決まると、婚礼道具として桐たんすは欠かせないものだったが、生活の洋風化や、個性化で伝統的な桐たんすを持って嫁いでいく方が、少なくなったのは事実です。しかし、ここ最近は、持っていく方はきちんと持っていくし、持っていかない方は全くもっていかない、という二極化の現象のようだ。個人的に私は、桐たんすは両親が持たせてあげる最高の思い出だと思っている。生活の道具というよりも、思い出のもの、極端に言えば形見のようなものだと思う。
だから、古くなっても捨ててはいけないし、再生して改めて使っていくことができるものだ。いつか、同業者の先輩が言っていた。「桐たんすを持っていく娘は、みんな良い子だ」と。確かに、桐たんすを買いに来られても、両親の言う事をきちんと聞くし、それなりに自分の意見も言う。でも、けんかなんてしないし、素直に両親の言う事に聞く耳を傾ける方が多い。私も仕事柄、たくさんの結婚する家族を見てきたが、みんな良い家族だった。桐たんすを持ってお嫁に行く。まだまだ、良き日本の風習は残っている。

2004年10月 6日

「新店舗を桐で」

先日、お付き合いの長い、ある会社の専務さんから、「新しい店舗を作るので、そこの内装を桐にしたい」との相談の電話を頂いた。最近は、桐の床が、暖かみがあるとの事で、人気。結構、住宅でも床を桐にする人も増えている。今回の店舗は、商品が当然メイン。でも、その商品を載せる棚を桐にしたいとの事だった。桐の棚は反らないように注意するだけなのですが、それと同時に鉄骨の柱を桐の板を巻いて隠せないかとの要望もいただいた。これには少しコストがかかってしまう。結局、少し様子を見てとの事で、この件は採用にはならなかった。でも、最近はこうして桐の使い方が、たんすなどの箱ものから建材用にまで使われるようになった。さすがに、建材用に使う桐は、国内産の桐ではコストが合わず、中国産だが建材用に使う桐のイメージも悪くない。あったかい、湿気ないと・・・
今回の新店舗のイメージは、本物志向とナチュラル。桐の持つ、イメージと重なってくる。どんな店舗になるのだろう

2004年10月 5日

「同業者と共に」

今週末、地元の加茂市で同業者10社と桐たんすの展示会を大々的に行う。今回で数回目だがいつも多くの方々にお越しいただける。今、その展示会の宣伝のため、テレビ局まで行ってきた。いつもは、桐の蔵単独での展示会だが、こうした同業者同士の展示会も、刺激があっていい。それぞれ各社は、気心しれた中。お出かけいただいたお客様には、じっくり納得いくまで見ていただく事ができるし、説明もさせていただく。加茂の桐たんす業界は、200年以上の歴史があり、私達の先人たちが多くの努力と苦労で、この業界を発展させてきた。それはいろいろな問題もある。しかし、こうして気心知れた、同業者と一緒に展示会を行う意味は、深いと思う。一社だけではこの業界はどうにも出来ない。伝統工芸という、次代へと伝えていかなければならない業界。まだ、若い私たちが頑張らなければこの先は暗い。しかし、この業界にはまだ若い後継者達がまだ、まだいる。
この業界の今後は、私たちにかかっている。と言っても、過言ではないはずだ。

2004年10月 4日

「スポーツの秋」

イチローのメジャーリーグ新記録、さすがにすごかったです。数日前、新聞にイチローの小さい頃からのお父さんと2人での練習のことが書かれていた。友達との遊びもそこそこに、学校から帰るとお父さんとの練習の毎日。練習中、意見の食い違いで、会話が無くなる親子。困る父と、イチロー。そんな感じの事が書かれていた。しかし、イチローの父は、「疲れているんだろ」とイチローの足を揉むのです。練習後、父は練習で疲れたイチローの足を、毎日、揉んであげたのだそです。確か、イチロのー本にもそんなことが書いてあったような気がします。しかし、すごい親子だと感心します。昨日の、夜の、サッカーもいい試合でした。サッカーを習っている、長男と見ていましたが、興奮しました。最後の最後に、やっと決めてくれました。最近は、日本の選手が海外で頑張る姿が多く見られます。私達、職人も、日本だけでなく、海外へも目を向けて頑張らなければと感じています。

2004年10月 1日

「秋の板干し」

桐の板を倉庫に入れる作業を終えて、新しい板が来るのを待たずして次から次へと新しく製材されたばかりの桐板が、運ばれてきた。いつもお願いしている板を干すプロ、2人のおじさんと、私と、親父、そして弟の大人数で、朝から板を干す。さすがに大人数でやるので、仕事が早い。あっという間に、板の山がなくなっていく。でも、疲れる。昼飯を食べて、一休み。午後からも必死に板を担いで、作業が進む。天気は快晴。汗も気持ちがいい。この作業なくして、良い桐たんすはできないのです。そして今回から、この板干しに秘密の作業が加わりました。それは同業者が、この日記を読んでいるので秘密。でも、この作業工程が、これからの桐の蔵の品質を確実に、向上させるには間違いないのは事実です。「考える、行動する、考える」これが、私達、桐の蔵のミッションなのです。