2004年7月28日

「水に浮く桐チェスト」

今日も水害に遭われたお客様からの電話で、桐チェストを取りに出かけた。昨年結婚された際に、お求めいただいた特注品の桐チェストはアパートの一室で、人間の胸まで浸水した水の中に浮いていたそうだ。桐チェストの被害は、中に少しの泥が入った程度。引出しも水を吸って開きにくくなっていたが、問題はない。裏板も、少し浮いているが修理すればOK.お客様の秋山さんも、桐以外のたんすは全部、水を吸ってだめにしました。でも、この桐チェストだけは大丈夫でした。不思議です。とおっしゃっていました。これが、総桐の力です。工房に持ち帰って、全体をきれいにお湯で洗ってから、修理に入ります。今回は、全体を削って新しくし、新たに自然オイルを塗り直す工程にすることにしました。
そうすれば、新品同様になり、新しい生活に戻っても気持ちよく生活することが出来るでしょう。秋山さんは、もう少しで赤ちゃんが誕生するらしく、実家に帰られているとのこと。水害に負けないで、元気な赤ちゃんを産んで欲しいと、願っています。

2004年7月27日

「久しぶりのラジオ体操」

子供たちが夏休みに入り、ラジオ体操の当番が回ってきた。
かみさんに言われ、久しぶり(小学校を卒業して依頼)にラジオ体操に出かけた。
あの音楽、あの声、何だか新鮮に感じた。我々の頃よりも、人数はだいぶ減って、20人ほどだろうか。でも、体操はそのまま。不思議なもので、20数年ぶりだが、体は覚えている。ラジオに合わせて、間違えずに体操できるものだ。ラジオ体操第二までやって、終了。終わると同時に、ハンコを押してもらいに駆け足で集まる。この光景も、昔と同じ。自分の子供が、昔の私と同じことを夢中でやっているのを見て、ほほえましくなった。このラジオ体操も日本の文化だろう。朝、早く起きて、久しぶりにやったラジオ体操。子供たちが、夏休みの間は、付き合ってやってみよう。

2004年7月26日

「週末は子供と・・・」

先週の金曜日、行き違いがあり、桐たんすに付ける金具の色の違いに気づいた。すでに、6時30分過ぎ。その日は、次女、ゆうちゃんの保育園の夏祭り。「早く帰ってきてね」と何度も言われてきた。案の定、ゆうちゃんからの電話。
「早く帰ってきてと・・・」「あー時間がない」でもこのミスは、今、かたづけないと大変なことになる」電話のやり取りの後、何とか間に合い、夏まつりへ。そして、土曜、日曜は、長男のサッカーの試合。土曜日は、仕事のため、かみさんにお任せ。日焼けして、真っ赤になって帰ってきた。そして、日曜日。かみさんは、4時におきてお弁当を作る。ヘトヘト・・・。家族で、サッカー会場へ。しかし、子供のサッカーの試合は、燃えるね。両親は、みんな大声で、応援。でも結構、ストレス。応援するほうも、大汗だ。久しぶりに、家族と一緒に過ごした、週末だった。

2004年7月22日

「やっと梅雨明け」

新潟の梅雨明けが今日、発表された。昨日までのどんよりとした曇り空から一転して、快晴。気温も30度を超えた。毎年、この季節の作業はつらい。
今年は、三条市の水害で、水に浸かった桐たんすの修理の依頼が、毎日のようにある。明日も、桐たんすをお預かりに伺う。工房での再生は今のところ、満員だ。そして、子供たちは今日から午前授業、23日からは夏休みといっていた。子供の頃は、夏休みが待ち遠しかった。でも、大人になると夏休みなんてない。せめて、お盆のお休みが夏休みだ。今月、30日(金)は、会社の夏忘れ。みんなで、おいしいビールを飲む日だ。職人さん達も楽しみにしている。そんな楽しみを心待ちにしながら、暑い中、頑張ろう。

2004年7月21日

「関東は猛暑、日本海側は雨」

東京、39.5度。この気温はすごい。どうしたら、こんなに温度が上がるんだろうか。ここ数日、新潟は水害の影響もあり、比較的涼しい日が続いている。しかし、湿度は高く、蒸し暑い。昨日に引き続き、今日も、水害に遭われたお客様から、修理の電話が入る。しかし、まだ普及作業が続いているため、自宅までは車で行けない。
もう少し、待ってもらうことになる。
猛暑と水害。日本はどうなってるんだろう。

2004年7月20日

「水に浸かった桐たんす」

今回の新潟県内の水害では、本当にたくさんの家庭が床上浸水に遭った。先週末、まだ雨が降り止まない日、7年前に桐たんすをお求めいただいた。お客様が、水に浸かった桐たんすを持ち込んでこられた。運良く、浸水する前に引き出しを抜いてくれたので助かったが、桐タンスはびしょびしょ、水が滴り落ちていた。
裏板は盛り上がり、留めは切れていた。重症だ。とりあえず、乾燥させなくては仕事にならない。この感じだと数ヶ月は乾燥させなくてはいけないかも。そして今日、被害の大きい隣の三条市のお客様から電話。桐たんすの引出しが水に浸かって開かないという。様子を見に、伺わせていただくが、街中は、水に浸かった家財道具の山だ。車も、緊急車両優先。ほとんどがまだ、通行止めだ。家財道具の山を抜けてお客様の家へ。2本あった桐タンスは、床上、約40cmが水に浸かっていた。当然ながら、引出しは開かない。相当、桐は水を吸っているはずだ。このたんすも、水をすって膨張した桐は留めやホゾが壊れていた。様子を見て、預かりに来ますと伝える。桐たんす以外のたんすもあったが、これはもう修復は不可能だろう。
総桐だから、乾燥させてから修復できるのだ。こんなひどい災害に遭っても、総桐の桐タンスは再生できるのだ。

2004年7月16日

「断水 2日目」

水害の影響で水が止まって二日目。今まで、何事もなく使っていた水が無いとかなりの支障がある。まずはトイレ。今は、ほとんどが水洗なので一番に影響が出る。自宅からポリタンスを3個持ってきて、給水車から水を分けてもらう。それをトイレのタンクに入れて何とか使う。今日は、それの繰り返しだ。仕上げの今井くんは、引き出しを拭いたり、汚れを落としたりするときにぬるま湯で絞ったふきんで、いつも拭くのだがそれもダメ。バケツに水を溜めて、そこで洗っていた。カンナを研ぐときに使う水は、雨水。使えるものは、何でも使った。幸いにして気温が高くないので、飲料用はあまり必要ない。まだ助かる。今日は、断続的に激しい雨が降った。
どうやらまだ、天気は不安定なようだ。仕事が終わった頃、やっと水道が開通した。当たり前と思っていること、それがそうではないと。今回の水害で、改めて水の大切さを身にしみて感じました。

2004年7月15日

「7.13 水害の続き」

今日、桐チェストの鉄金具を作ってもらっている工場へ、頼んでいた鉄金具を取りに行った。作ってもらっている工場は、水害でかなりの被害のあった三条市。報道などで次々と犠牲者が出て、深刻な状況の町だ。普通、20分もあれば着くのだが、通行止め場所がほとんどで、街中に入れる道は限られるため、30分ほどかかった。道路は寸断され、災害にあった方々が必死に復旧作業をしている。田んぼは一面の海だ。稲は見えないし、まだ水は引けていない。道路は、土砂とその土煙で窓を開けて運転できないくらいだし、被害にあった会社は、みんなで土砂を出す作業が続いている。何とか、着く事が出来、話を伺うと、自宅も、工場も浸水は免れたといっていたでも、自宅はあと、1cmで床上浸水したと言う。
幸いにして、今日は雨は降っていないが、いつ降ってもおかしくない天気だ。行く先々で、警察と自衛隊が警備と復旧にあたっている。こんな状況がすぐ、隣町で起こっているとは思いもしなかった。「すさまじい」の一言だ。当然ながら、学校は全部、休校。いまだに、避難所暮らしを余儀なくされている方は多い。帰りの車のラジオからは、義捐金の受け付けを開始していた。工房に着いて、仕事をしていたら、断水だ。水が出ない。給水車が来て、アナウンスをしている。これが現状だ。
明日は水が出るのか。今まで、水は当たり前だったが、なくなって初めて気づく、ありがたさだ。明日は、どうなるんだろうか。

2004年7月14日

「7.13 水害」

全国ニュースでも放送されたように、一昨日からの記録的な大雨で隣町の三条市や中之島町の川が決壊し、多くの負傷者とそして犠牲者まで生んしまった昨日から、たくさんの電話とメールをいただいた。ご連絡いただいた皆様、ご心配をかけました。幸いにして、工房のある田上町と、自宅のある加茂市は何とか無事でした。
しかし、加茂市の中心部を流れる加茂川の水量はすさまじく、20数年前に行った河川改修以降、見たこともない水量で、橋げたまで数メートルのところまで水がきており、見てると、ぞっとしてきます。昨日からは、電話も繋がりにくい状態で、子供たちは早くに下校してきて自宅待機でした。今朝の新聞を改めて見て、隣町でおきている現実に目を見張りました。
両親は、朝早くから親戚のある三条市へ出かけていきましたが、とうとう着けづ、引き返して来るような状態です。今は雨はあがっていますが、空はどんよりと曇り、予報ではこれからも雨が降りそうです。自然の力はすごいものです。いまだに、避難されている方も多く、心配です。これ以上、被害が大きくならないことを祈るしかありません。

2004年7月12日

「仙台にて」

週末は、仙台にて展示会だった。もう仙台は何度か開催しているので、だいぶ慣れてきた。仙台の人は、なぜか親しみやすい。会話がスムーズにいくから。いつも通り、たくさんの方にお出かけいただいた。3月にも来ていただいた千葉様
そして、2度もお出かけいただいた蘇武様。ありがとうございました。仙台は町がきれい。さすが、杜の都だ。緑が多く、環境がいい。
私の姉は、旦那さんの転勤で今、仙台に住んでいるが、この町にずっと住んでもいいと言う。それくらい、住みやすいのだ。連日、30度を越える新潟から仙台に行ったら、少しは涼しかった。朝晩は、本当に涼しかった。そして、最近は輸入牛肉が禁止で、牛タンが不足しているというが、そんな感じはしなかった。相変わらず、弟は、牛タンを「うまい」と言いながら食べていたし・・・。でも昨日、新潟に帰ってきたら半袖では寒いくらい、涼しくなっていた。何だか、土曜日はバケツをひっくり返したような大雨だったようだ。そのお陰で、今日も過ごしやすい。今回は3週連続の展示会と、その間に、配達の連続だった。でも本当に展示会では、いい出会いに感謝したい。

2004年7月 8日

「コカコーラ」

梅雨も明けていないのに新潟はうだるような暑さ。今日の工房の気温は40度。こんな中で桐タンスを作る作業は地獄。一人に一台の扇風機は熱風で話にならない。かといってクーラーは、ほこりがすごくてまともに持たない。そんな汗だくの休憩時間は、冷たいお茶。そして、最近はなぜかコカコーラ。
子供の頃、コーラの飲むと歯がとけると散々言われたコーラだ。
展示会が終わり、トラックに桐タンスを積み込んで、汗だくで会場を後にするときも、飲むのはコーラ。こんなときは、実にうまい。運転して帰ってくるので、ビールは飲めないのでコーラかも知れない。子供の頃、憧れたコカコーラも、大人になって飲むと意外とうまい。でも、後味が甘いのは仕方がないが・・・。本当は、冷たいビールといきたい所だが、仕事中なので。今晩も熱帯夜だ。早く帰って、ビール飲もう。

2004年7月 7日

「お母様の桐たんす」

5月の東京での展示会にお出かけいただいた奥田さんは、亡くなられたお母さんの桐たんすを何とかしたい、とおっしゃっていました。そこで色々な提案をさせていただき、今回、古いお母さんのたんすが現代風のチェストによみがえり、弟と2人でお届けしてきた。奥田さんのお宅はビルの4階と5階。入って驚いた。
ビルの中とは思えないほど、きちんとしておしゃれ。5階には、何と、お茶室とその中に庭まであった。ビルのお部屋の中に庭があるとはびっくりした。都会の中の静寂だ。作ったチェストも、お部屋にピッタリと収まった。
手前味噌だが、このチェストは奥田さんと何度もやりとりして出来上がった、力作だ。この作品は、私達と奥田さんとで2人で作ったものといってもいい。絶対に他ではない、世界に一つだけのものだ。それに、お母様の思い出まで残されている。
古いたんすを現代的に直す仕事は楽しい。絶対に、他ではやれない桐の蔵のオリジナルだ。お客様と2人で作り上げていく作業、職人にとってこれほど嬉しいことはない。

2004年7月 6日

「さすがに疲れが・・・」

ここ2週間連続して展示会だったお陰でさすがに疲れてきた。この暑さのせいもあるけど、さすがに休みなしがこたえている。今日は福井まで日帰りで行ってきたが、朝はしんどかった。。弱音は言わない・・・・。そして、明日は東京。
弟と2人で桐チェストをお届けだ。行きは5時半出発。高速でもちろん日帰り。朝は弟に運転してもらおう。

2004年7月 5日

「京都の暑さ」

3日、4日の週末、初めての京都での展示会を終えて、昨日深夜、帰宅した。京都は、暑い。これが、第一印象だった。地元の方は、これが普通。まだまだと。言っていたが、新潟生まれの私は、絶対に住めない場所だった。でも、京都での展示会は本当に多くの方に、お出かけいただいた。一日平均、100人。すごい人数です。
また、名古屋の展示会に引き続きお出かけいただいた、大阪の榎本さん。本当に、ありがとうございました。また、たまたま寄ったという、大阪の北野さん。
そして、私達の桐チェストを持って、京都に嫁いだ中さん。ありがとうございました。
そして、85歳にはとても見えない幡司さん。
桐チェストの使い心地はいかがですか。本当に、多くの方にお世話になりました。
関西の人は、皆さん明るい。お話してても明るくなります。こんなにも地域によって人柄が違ってくるのでしょうか。でも、この暑さと、6時間の距離は結構こたえました。この次、行くときは、余裕を持って、お寺でも見れたらと思います。お世話になりました。

2004年7月 1日

「3本目の再生」

以前、2本の古いたんすを再生させていただいたお客様からお電話をいただいた。「蔵に入れてあった桐たんすがカビだらけで、再生して欲しい」少し離れている町だが、急いでいるとのことで、夕方、行ってみた。確かに、カビだらけ。原因は、湿気のようだ。でも、着物には移っていない。さすが、桐タンス。きれいになることを伝え、お預かりしてくる。3本目の桐タンス。これは、奥さんがお嫁に来る時に持ってきたものだ。蔵に入れたあっただけあって、それ以外は、あまり傷んでいない。金具も渋いものが付いてあった。結構、いい物だ。昔の桐タンスのいいものは、本当にいい仕事がしてある。それは、細かいところを見ればすぐに判る。やはり、職人の仕事は嘘をつかない。こうやって、桐タンスは次代へと伝えられていくのだ。